なぜ彼らはある日突然いなくなるのか?ー映画『蒸発』が映し出す日本 園崎明夫

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映画『蒸発』は、現代の日本における行方不明者たち、いわゆる「蒸発」の実態にカメラを向けたドキュメンタリー作品です。ドイツ人映像作家アンドレアス・ハートマンとベルリン・東京を拠点に活動する映像アーティスト森あらたの共同監督。

警察庁の発表によると令和6年の行方不明者届受理数は8万2,563人で、男女別構成比は男性63.6%、女性36.4%となっていて、ここ10年でみてもほぼ同傾向の統計が出ています。姿を消した人の多くはやがて帰宅するようですが、うち数千人は完全に姿を消してしまい、彼らは「蒸発者」と呼ばれています。人間関係や家庭内でのトラブル、借金苦、ヤクザからの脅迫など、失踪の理由は様々で、ある日突然、それまでのすべてのしがらみを断ち、別な人間として新しい生活を始めることを選ぶ。その内面は深い喪失感や挫折と人生をゼロからやり直す希望のようなものが交差しているのかもしれません。

©2024 OSSA FILM, BR, MORI FILM
©2024 OSSA FILM, BR, MORI FILM

映画は何人もの登場人物をドキュメントします。借金が膨れ上がり取り立て屋から逃げ続ける男性、ブラック企業の上司からの脅迫から逃げて地方のラブホテルに住込みで身をひそめるカップル、37年間にも亘る逃亡生活から故郷との和解へと向かう初老の男など、様々な状況を生きる失踪者や彼らを支援する「夜逃げ屋」なる業者の実像、「個人情報保護法」に阻まれ肉親を捜すこともままならないシングルマザーら残された人々の苦悩などを映し出していきます。

©2024 OSSA FILM, BR, MORI FILM

監督が主に海外で活躍する映像作家ということもあるのでしょうか、日本に特徴的といわれる「蒸発」現象を一貫して冷静に客観的に描いています。観客にほとんど感情移入をさせない、つねに被写体と距離を置いた映像タッチで記録していると感じます。外国人があらためて発見した日本人と日本の社会を「蒸発」現象を通じて描いている、まさに、そのこと自体がまず興味深く面白い。はっきり言ってしまえば、登場する人物群像は海外アーティストから見た「観察対象」であって、したがって安易な感情移入はあらかじめ拒まれています。それは、まず監督が取材対象である登場人物に対して過剰に感情移入していないからこそ可能で、その分観客に対して開かれた、そして挑発的な作品になっていると思います。そして、そうした手法で現代の日本を描く作品クオリティの高さゆえに、海外の映画祭での高い評価や興行的成功を収めているのではないでしょうか。

©2024 OSSA FILM, BR, MORI FILM

さらにそれは、作品のはじめに明らかにされる、当然ながら蒸発者たちの個人情報保護のための「AI活用」にも関係しているのかもしれません。AIによって作られた人の顔のフェイク画像(顔はフェイクでも表情は正しくその内面を表現しているらしい)や音声によって、観客の生の感情移入が抑制される効果が生じているのか、逆のケースで、観客の感情移入をより誘発する効果も期待できるのか。

アンドレアス監督によると、『蒸発』は人間の心理描写に重点を置いた作品で、その多くは顔の表情を通して伝えられるので、匿名化の手段として従来のモザイク処理だけでは不十分。そこで、ぼかし処理とAIによるディープフェイク技術を組み合わせる手法を使い、AIが生成した別の顔に置き換えながらも、元の表情は正確に保持されるため必要なプライバシー保護を確保しつつ、観客は出演者の感情を十分に感じ取ることが可能になる、と語っていますが。AI恐るべしですが、こうなってくると、そもそもドキュメンタリー映像というものの限界はどうなっていくのか、といったことまで考えてしまいます。

©2024 OSSA FILM, BR, MORI FILM

ともあれこの秀抜な作品が、日本における「蒸発」をモチーフとして表現しているものは何なのでしょう。それは、たとえば高度経済成長の果てに自壊してゆく戦後日本の断面かもしれません。自由に生きる権利と社会的束縛の軋みにあえぐ令和の日本人の悲鳴かもしれません。あるいは、あるべき未来像を思い描けない社会の寂寞感のようなものかもしれません。なぜ彼らはある日突然いなくなるのか?「蒸発」を描いて、今の日本を映し出すドキュメンタリー作品だと思います。

●総合デザイナー協会特別顧問 園崎明夫

〇『蒸発』 3月14日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開。関西では、3月20日(金・祝)より大阪・第七藝術劇場と京都シネマで、3月21日(土)より神戸・元町映画館、5月15日(金)より兵庫・豊岡劇場で上映。『蒸発』の公式サイトは以下です。

なお、冒頭の写真のコピーライツは©2024 OSSA FILM, BR, MORI FILM

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