「君は公安に目を付けられているか?」
久しぶりに人と防災未来センター編を再開したばかりで、続編も完成している。しかし、盆を前にした12日に訃報が入った。初任地の松江支局で大変お世話になった(いや、その後はずいぶんお世話をした?)森栄徹さんが亡くなった、と読売新聞大阪本社の後輩、佐藤浩さんからLINEが入った。相前後して同期のW君らからも連絡が来た。正直、驚かなかった。かなり以前から癌を患っていたから。まあ、かなり野放図で破天荒な人生を送り、大酒飲みだったから、身体を壊していた。73歳だった。
しかし、大好きな先輩で、様々なエピソードを持つ人だから、追悼文を書く。
忘れもしない、1979年5月末のあの日。筆者は4月に入社して1か月半以上の本社研修が済み、松江支局に赴任した。のんびりしていたので大阪から同期の鳥取支局に行く上杉成樹君(故人)と一緒に山陰線で行き、夕方に松江に到着し、夜になって支局に着いた。真っ赤な顔をして怒る飯原支局長(故人)の説教を30分以上受けた。ぽっちゃりした眼鏡をかけた清末良一先輩(故人)が優しく色んなことを教えてくれた後、ごっつい体格(180cm以上あるかな、ないのかな?)のおっさんが声を掛けて来た。
「君は関西人か?ええこっちゃ。ところで、君は公安に目を付けられてないか?」
アホな後輩は即答した。
「ええ、酒気帯び運転やスピード違反で、今3か月間の免許停止を受けています」
「アホか?君は。それは交通や。おれが言ってるのは、公安や。左翼や右翼を取り締まる警察組織のことやがな」
45年以上前のバカなやり取りだが、今も覚えている。聞けば、京都大学時代、左翼学生の巣と言われた吉田寮に6年間、居座っていた。しかし、「おれは左翼やないで」と言った。
泥酔、他人の家で入浴して逮捕
筆者が松江支局に赴任する前の3年間、様々な“事件”を起こしていた。まあ、もうとっくに時効だから書く。酔って他人の家のお風呂に入って“逮捕”された。支局の次席と先輩たちが松江署に迎えに行った時は泥酔状態で、いわゆる「トラ箱」に入っていた。多分、住居侵入の現行犯だっただろうが、古き良き昭和の時代、厳重注意でお咎めなしだったらしい。このことを筆者が知ったのが、松江署を回っていた時、刑事一課の刑事さんが言った。
「最近、君とこの先輩、ここに来ないけど。なぜか知ってるか」
支局に帰って清末先輩に聞いた。
「ついに聞いたか? 教えたるから、森栄に聞いたらアカンで」
2階から洗濯機を放り投げる
他社の先輩記者から聞いたのは、洗濯機放り投げ事件だ。詳しくはわからないが、洗濯機が壊れたので、住んでいたアパート2階から外へ投棄したのだという。大きな音に住民が110番し、パトカーが来たとか。
筆者の嘘がばれたことも。夏休みに神戸に帰った際、同期のW君と会っている時に、火事があって一緒に現場に行った。そこまでは本当の話だが、松江に帰って森栄さんに自慢話のように話した。
「W君と一緒に現場に行って、写真を撮った。それが、神戸版に載りましたよ」
嘘はばれるものだ。半年後、森栄さんは神戸支局(当時、現総局)に転勤した。後日、酒を飲んでいて、「お前、嘘ついたやろ」と言われた。
社会部に上がって、曽根崎署担当を受け継いだ。その後、彼は捜査4課、2課担当になり、1課担当の筆者とは道が違った。まあ、その間も時々、梅田の新梅田食堂街にある立ち飲み屋で飲み、4時間も飲んだこともある。何を話したか覚えていない。カラオケも好きで、演歌が上手だった。十八番は、大川栄策の「目ン無い千鳥」か北島三郎の「歩」。演歌を歌わない筆者は何度か無理強いされた。
広報課員に料理を振る舞う
再度、森栄さんの後を継いだのが、社会部枚方支局長。1994年10月に悪夢の京都総局3席から社会部に復帰した時。
「記者クラブのお世話するおばちゃんはカバみたいやけど、ええ人やで」。酷い言い方だ。おばちゃんは怒っていた。枚方支局長時代は、写真に凝り、市の広報課員だった宮本勝裕さんにずいぶん迷惑かけたようだ。お気に入りの写真は、カルガモ親子の散歩と高知市の朝市。枚方市宮之阪のマンション支局で、度々広報課員らに得意の料理を振舞ったらしい。前々支局長の加藤譲さんと同様、名物枚方支局長となられた。加藤さんが始めた市職員との花見会は今も続いていて、森栄さんも3年前までは必ず顔を見せ、昔話に花を咲かせていた。
もう、一緒になることはない、と安心していたら、1996年春、筆者が阪神支局次席をしていた時、支局長で来られた。この時代は以前に色々書いたから、詳しくは書かないが、とにかく、楽しかった。ただ、奥様(松江で文化財担当をしていた時に、島根県の文化財保護課でアルバイトをしていた美女)の尻に敷かれていたので、家に帰らなかったが。支局員の婚約者がストーカーの被害に遭った際、スーパーマンのような活躍で解決してくれたことを付記する。

ところで、この文章を書くために、森栄さんの写真をググっていたら、いきなり出てきた。2024年9月25日に読売新聞奈良支局で開かれた奈良地域デザイン研究所主催の講演会「混迷する現代社会への提言」という動画だ。亡くなる1年足らず前。1時間25分弱。森栄節満開だ! 失礼ながら笑ってしまった。
しかし、知らない話ばかりだ。彼のことは何でも知っていると高をくくっていた。とくに、駆け出しの松江支局時代の「築地の松の焼失の真相話」を「ジャーナリズムの原点」と捉え、「八甲田山の雪中遭難記録の特ダネ」などは聞いたこともなかった。その後の、神戸支局(現総局)、社会部府警捜査4課、2課担当、府警キャップ時代の裏話を吶々と語っている。新聞紙上では書けないような差別言葉も時々出るし、現代社会への提言とは?だったが、改めて記者人生の奥深さ、不思議さを再確認した。
本当にありがとうございました。あなたと一緒だった駆け出しの1年間、記者の矜持を教えていただきました。ここ数年、夜中に携帯が鳴って出ると、「モリエです。まだ、生きとるで」と野太い声が聞こえていたのに。ほんまに残念です。ご冥福をお祈りします。そして、「あの世」で、清末さんと演歌歌ってください。(つづく)
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