映画や20世紀の映像記録に興味のある人には、色々な楽しみ方、学び方のできる、密度の高い見応えある作品だと思います。日本映画の草創期でありサイレント映画の全盛期でもあった1920年代の映画界と「大震災」の遭遇が繰り広げる物語の数々がとても興味深かったです。
1923年といえば、世界的にも「活動写真」の絶頂期。東京でも浅草六区の映画館街は観客で溢れ、とりわけ喜劇と時代劇の黄金時代。
チャップリン、キートン、ロイドらの名作・代表作が次々と公開され、邦画では「目玉の松ちゃん」が君臨、若き剣劇王「阪妻」も登場し、活動写真弁士が当代一の花形スターであったころ。制作スタッフも役者も興行側も観客も、「活動写真」に対する情熱、意欲には並々ならぬものがあった、そんな時代の未曾有の大災害。
当時「記録映画」という言葉がすでにあったのかどうか、およそフィクションとノンフィクションの境界もいまだ定かでなく、何事かを記録した映像は、「事実を伝える」というよりも、むしろ「プロパガンダ」としての重要性に着目されていたころでもあったようで、震災の前年、1922年公開のフラハティ「極北のナヌーク」が「世界初のドキュメンタリー」と呼ばれたことを思えば、事実として「関東大震災」の惨状をフィルムに収めた「ドキュメンタリー映像」は(当時にあっても、歴史的にも)極めて価値の高いものであって、それを制作した方々の慧眼、勇気、行動力は、「活動写真」全盛の時代にあって、どのような現実に直面し、どのような価値を持ったのか、まさに興味はつきません。
高坂利光キャメラマン撮影の映像でしたか、震災の発災から3日間分のフィルムは京都の撮影所で編集されて、早くも震災から一週間後には劇場で公開され、大入り満員であったとか。震災映画は「記録映画」として「社会的、歴史的、学術的価値」もさることながら、同時代的には「驚天動地のスペクタクル巨編」的な興行価値もきわめて高く、まさに活動写真絶頂期の「映像コンテンツ」あるいは「サブカルチャー」的側面のリアルな考察も必要なのだと感じます。井上監督も書いておられるように、実話に基づくフィクションとして粗製乱造された「震災キワモノ映画」にも、それなりの興行価値があったことも重要な史的事実なのでしょう。また、白井茂キャメラマンによる、「関東大震大火大実況」(5巻)という一時間ほどの映画のほぼ最後の1巻分は、後年あらたに書き起こされた「活弁台本」によると、震災にあたっての我が国皇族の方々の動向を伝え、復興に向けたメッセージが込められています。そのあたりにも、大正から昭和初期の時代相が刻まれているようです。
また、当代を代表する弁士・片岡一郎さんの労作『活動写真弁史』によれば、当時大震災の惨状を目の当たりにした徳川無声が「今後5年は活動写真の上映などまったく考えられない」と嘆いたものの、なんと震災から一か月後には、復興のさなか活動写真の興行は関東各地で復活し多くの観客がつめかけた、との記述があります。「災害」とエンターテインメントの関係というのは、人々の生活の根幹にかかわる重要なテーマだと気づかされます。
いずれにしても、「キャメラを持った男たち」という作品、1920年代サイレント映画の絶頂期に、首都を襲った大災害のアーカイブ映像とその撮影をめぐる群像を描いて、どこまでも興味尽きない貴重な作品であると思います。実際、自分で調べないといけないこと、いっぱい出てきます!
●『キャメラを持った男たち-関東大震災を撮る-』公式サイト
〇そのざき あきお 毎日新聞大阪開発エグゼクティブ・プロデューサー
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