柳裕章監督の京都を舞台にした自主製作映画『事実無根』が、とても面白い。それもちょっと普通でない面白さ!おそらく観る人によって、幾つもの全然違った相貌を現す、あるいは様々な思考へといざなう、一筋縄ではいかない、興味深く、心揺さぶられる作品です。観終わった後も長く心から離れず、こんなにいろいろなことを思い巡らす映画というのも、近頃あまりないのではないでしょうか。アメリカ映画も日本映画も、近年は良くも悪しくも表現が行き届いているというか、親切で分かり易い映画が多いからか、観客の反応、楽しみ方もけっこう単純化してしまっているような気がします。
しかし、この『事実無根』という作品は、ストーリーそのものがそれほど複雑に込み入っているわけではないのに、はっきりいって、親切でもなければ、分かり易くもない。そして、まさにそこが面白い。キーになる重要ないくつものショットやシーンが、普通にリアルな日常の描写なのに、どこか違和感があって夢の中の出来事のようでもある。カフェのオーナー近藤芳正が開巻まもなく、子供たちと絡む登場シーンからして、どこか尋常でなく、いきなり刺激的で、私などは思わず身を乗り出してしまいました。かつてベルイマンやアントニオーニが最高だった頃のヨーロッパ映画みたいな雰囲気もちょっとあって、とても素敵だと思います。
なので、この作品、ストーリー的には一見「リアルな人間ドラマ」ではありますが、その実は「ダーク・ファンタジー」でもあったりするのかと個人的には感じています。それは、柳監督の切実な祈りを込めた、「一人の少女の叶わぬ夢と祈りの映像化」かもしれないとも。あるいは「大林沙耶」と名乗る孤独な少女の人生への、悲しく美しいレクイエムといえるのかもしれません。沙耶が近藤芳正オーナーとの会話の中、「じゃあ私、夢も目標も持ちません!」と、笑顔で断言するショットの凄みたるや。やはり、観る人によって様々な相貌を現す「重層的」な構成を持った作品なのでしょうか。おそらく「人生をやり直したいと願う人たちにエールを贈る、軽妙でユーモア溢れる、心温まる家族のドラマ」でもあるのでしょうし、「事実無根の人生に翻弄される身勝手な親たちと、人生をやり直したいと願う18歳の孤独な少女の祈りの映画」でもあるのでしょう。
こうした「映画の重層性」というのは、実は日本映画の魅力のひとつでもあって、たとえば成瀬巳喜男監督、高峰秀子主演の『稲妻』という名作は、一人の母親とそれぞれ父親が違う4人兄妹の物語で、宿命的な近親者たちの果てしないいざこざを、一見ほのぼのとしたタッチで描く辛口ホームドラマと見えて、その実、閉塞的で苦難に満ちた出口のない日々を生きる人間たちの悲劇でもあります。小津安二郎の遺作『秋刀魚の味』も、人生の不条理と酷薄さを描いて、作品が纏っている暖かさとはまるで違うペシミスティックな内実を見せます。
そして、『事実無根』という映像作品も、その底流には、無秩序で不条理で「事実無根」の過去(歴史)に呪縛され翻弄される人間たちと、今の「世界」そのものの有りようが映し出されてもいるような気がします。幼い子供たちにとってはある意味で家族が「世界」そのものでしょう。近藤芳正や村田雄浩扮する父親も、若い地方公務員と3度目の再々婚をする母親も、興味深くはあるけれども、共感できる魅力のある人物ではないと、私には見えます。幼かった沙耶にはどんな「世界」が見えていたのでしょう。ラスト近く、18歳の沙耶の強い想いに誘われて、彼らが集う海辺のシーンを観客の皆さんははたして、どのようにご覧になるでしょうか。
いずれにしても、柳監督の様々な想いの詰まった、観客それぞれが自由な視点で、自由な感性と思考で楽しめる、素晴らしい自主製作映画です!
(そういえば、柳監督が助監督として参加された、安田真奈監督・脚本『あした、授業参観いくから』はまさに、まったく同じ会話が、まったく違う状況で、5回も交わされるという「重層性」を圧倒的な面白さとして創造した珠玉の短編でした!機会があれば是非ご覧になることをおすすめします。)
●Mエンターテインメント エグゼクティブ・プロデューサー 園崎明夫
〇映画「事実無根」公式サイト
なお、冒頭の写真のコピーライツは(C)一粒万倍プロダクション
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