再審無罪判決「袴田事件」  姉・秀子さん登壇、ドキュメンタリー映画『拳と祈り―袴田巖の生涯―』トークイベント

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『拳と祈り―袴田巖の生涯―』

獄中生活47年7ヶ月。30歳の元プロボクサーは、88歳の死刑囚となった。生きて還った袴田巖の知られざる闘いの物語。

10月27日、大阪・十三の第七藝術劇場。満席、さらに立見席も完売し、『拳と祈り―袴田巖の生涯―』が上映された。上映後、袴田巖さんの姉秀子さんと笠井千晶監督が登壇、トークイベントが行われた。司会は第七藝術劇場の小坂誠さん。その模様を報告します。

左から笠井千晶監督、袴田秀子さん、小坂誠さん

小坂

では早速、お呼びしたいと思います。笠井千晶監督と袴田秀子さん、お二人に登場いただきますので、みなさん、拍手でお迎えください。

会場から大きな拍手が起こる。拍手は20秒以上続く。

小坂

最初に、一言ずつご挨拶をお願いします。

笠井監督

お越しいただき、ありがとうございます。本日は秀子さんとともにお話ししたいと思っております。

袴田秀子

袴田でございます。

〈再び会場から大きな拍手が起こる〉

58年かけて、やっと無罪になりました。

〈大きな拍手〉

とても浮かれておりますの。58年がすっ飛んじゃった、それぐらい浮かれております。

〈大きな拍手〉

小坂

劇場公開が先週から始まっていますけれど、実は、編集をギリギリまでされていたんですね、その辺りをお話いただけますか。

笠井

作品の一番最後に、9月26日の再審無罪判決の場面があります。その判決後に、ご自宅で過ごされている袴田巖さんと秀子さんを撮影しました。そちらを急ぎ盛り込んで、今月頭にようやく完成しました。ぎりぎりの作業だったんですけれども、そういった場面を盛り込むことができましたので、作品に生々しさというか、臨場感というか、そういったものを入れることができたと思っております。

小坂

秀子さん、9月26日から1か月ほど経ちましたが、判決を聞いたお気持ちを改めて、お聞かせいただけますか。

袴田

裁判所というところは、かしこまったところなんですね。私は、どっちに出るにしても、覚悟を決めてと思って、出かけたんですよ。そしてね、裁判長さんが「秀子さん、主文だけでもこちらに来てください」とおしゃっていただいたものですからね、前の席に行きましてね、座っておりましたら、「主文。被告人は無罪」と第一声でおっしゃっていただいて、その瞬間に、もううれしいやら、もう、うれしいというか、なんというか、もう何とも言えない気持ちになりましてね。それで、涙がね、私、そんな涙もろくないんですよ、今まで、がまんしてたということもありますが、泣くまいと思ってがまんして、めそめそなんかしちゃおれんと思っておりましてね、それで闘っておりましたので、涙なんか出ないと思っていましたらね、自然と涙があふれ出しましてね、一時間、私ね、泣きっぱなしでございましたの。そのぐらい、興奮しておりました。それでね、感激してね、本当に何もかも、58年のすべての苦労が吹っ飛びました!本当にうれしくて、もうせっかく58年闘ってきて、もうちょっと、なんとかいうことがあるかと思いましたがね、その瞬間はね、まったく、神々しく、裁判長さんのお声を拝聴いたしました。

〈大きな拍手が起こる〉

小坂

監督はすごく長い期間、撮影をされていますね。

笠井

袴田さんのことを知って、取材を始めてから22年です。

小坂

それだけ長く追いかけてこられて、一緒にいらっしゃって、監督もこの9月26日をどんな気持ちで迎えたんですか。

笠井

ここ数年はいい流れになっていましたので、その日は無罪が出るものと思って、その場にいました。思い返すと、20年以上前は、正直なところ、無罪という声を聞ける日が来るとは、もう、まったく、私自身も思えなかったといいますか、裁判もいい結果がまったく出ていませんでした。今でこそ、有名な事件になっていますけど、20年前の当時は、メディアに取り上げられることもほとんどなく、この事件を話題にする人もほとんどいないような雰囲気がありました。その頃を思うと、本当に信じられないといいますか、無罪と書かれた真っ白な旗を見て、本当に無罪が出たのかと信じられないような、奇跡みたいな、本当にそういった気持ちで、その瞬間を見守りました。やっぱり、思ったのは、秀子さんの長い歩みを振り返ると、本当によくこれまで、お元気で、この日を迎えてくださったなあと思いまして、秀子さんの思いを想像するだけで、胸がいっぱいになりました。

©︎ Rain field Production

小坂

9月26日以降、巖さんはどのような日常を送られているんでしょうか。

袴田

2014年3月27日に釈放されたんですがね、釈放された時、巖の状況はわりあいとね、しっかりしてたんですね。いろいろなお話もしましたしね。ちょっとおかしいかなと思いながらも、それでも、話すこともまともなような気がしたんですが、入院しましたり、いろいろありましてね、それでね、胆石を取ったんです。胆石を取ってから大変元気になりましてね、出雲に行ったり、名古屋に行ったり、大阪に行ったり、まあ、本人は「ローマに行く」と言うもんですからね、ローマには連れて行きませんのでね、「じゃ、ローマに行こう」って言って、そこらじゅう連れて回りましてね、だけど、「ここはローマじゃない」とは言わないですよ、だから、いいやと思って、連れて行って、そういう行動をすごくしました。だけど、やっぱりね、後遺症と言うんかな、そういうのが、だんだん出て来ましてね、あまり物も言わなくなったし、それから、妄想の世界に入っちゃう。そういう期間が5、6年は続きました。5、6年してからね、妄想の世界は今でも続いておりますが、とんちんかんなこと言うんです。とんちんかんなこと言っても、「ああそうだね、そうしようね」と私は否定はしないんですよ。それで、巖が言う通りにしようと思って、「あそこさ、行って」「行こう」と連れて行って、日本のそこら中を連れて歩いていたんですね。最近はね、自分でも足が弱くなったってことがわかって、車でドライブをしております。「くたびれた」と言いましてね、歩くのに疲れたとみえまして、毎日午後からはドライブに出かけておりますの。

小坂

冤罪被害者という観点だけではなくて、巖さんの日常であったり、巖さんの見られている世界というものを監督は捉えようしたのかなあと思いました。冤罪被害者としての巖さんだけを映さなかった、その辺り、何か考えなどあれば、お話していただけますか。

笠井

秀子さんのお話にもありましたが、袴田さんは拘禁反応という、精神的な病気だと診断を受けています。

拘禁反応:刑務所や強制収容所などで自由を拘束された状態が続いた場合にみられる精神障害の一つ。

この映画では、袴田さんが死刑囚であるとか、冤罪の被害者であるとか、そういった肩書で巖さんを見ていただきたくないと思いまして、それよりも、そういう固定概念を取り払って、袴田巖さん自身を観ていただきたいという思いで、製作しました。その前提として、私自身がどうやったら袴田さんをもっともっと理解できるのか、袴田さんのことを知りたいというふうに思いました。そういった時に気が付いたのが、袴田さん自身の言葉で今の気持ちですとか、自分が経験してきた様々なこととか、獄中でのこととか、そういうことを言葉として言語化するのがむずかしいとするならば、私自身が袴田さんを理解するためにできることをやろうと思ったんです。おそらく、人は過去の自分の経験ですとか、記憶ですとか、そういったものに基づいて、今、行動しているんじゃないかと思いました。巖さんにとってのよりどころは、逮捕される前の30年、普通の若者として生きてきた30年。その時代を改めてたどって、その頃、巖さんが何を思い、暮らしてきたのか、そういうことを知ることによって、今の巖さんを理解する手がかりになるんじゃないか、そういうふうに思いまして、巖さんの人生をたどり、今の巖さんの思いに何とか近づきたいと考えて、この映画をつくりました。

©︎ Rain field Production

小坂

映画に出てくる秀子さんの言葉ですごく印象に残っているのが、「巖につける薬は自由しかない」です。この作品は巖さんだけでなく、秀子さんの姿もすごく描かれていて、この映画を観た人の中には、そういう秀子さんの言葉だとか、姿勢だとかに勇気をもらった人たちもたくさんいると思います。秀子さんの前向きな姿勢だとか、物の見方だとか、すごく魅力的だと思います。その辺りはいかがですか。

袴田

死刑囚ですから後が無いんですよ。だから、再審開始に向かって行くしかないと思ってね、がんばってきたんです。やっぱり、雑音も入るわけですよ。だから、そういう雑音は一切、聞かないようにと思って、言いたい人は言わせりゃいいと思ってね、私は世間とちょっと離れて生活しておりました。同窓会とかそういうものにも一切、行かないよう、あえて、こっちが距離をとったというような状況でございました。それで、目標が見えなかったんですね、権力と闘っているということはね。誰と闘っているか、わからないんですよ、裁判が進まないから。それでも、闘わなきゃならんということで、ともかく、再審開始になることを願って、がんばってきたわけです。言ってみれば、泣き言は言わない、愚痴はこぼさない、そういう信念で闘ってまいりました、今まで、はい!

〈大きな拍手〉

笠井

私からも。私が秀子さんに出会った頃も、秀子さんはそれを実際に実行されていました。あれこれ不安なことを考えるのではなくて、今できる現実的にやるべきことを淡々と毎日、やっていらっしゃる時に出会いました。そんな秀子さんがある時を境にすごく変わられたと私は思ってまして、今から10年前の釈放の時ですね、釈放された巖さんが帰って来て、それから秀子さんがすごく変わったなあと思っていたんですけど、秀子さんとしてどうでしょう。

袴田

58年間闘ってきたうちの長い間、私は、にこりともしないで、笑えなかったんですね。だから、おっかない顔をしてね、集会なんかに行ってもね、言いたいこと言って、さっさと帰ってくるという具合でした。それが、巖が釈放されてからは、ガラッと変わりましてね、にこにこし出しましたのね。私はね、もともとは、にこにこしている人間なんです、20代までは。それが事件があってからは、にこにこしようなんて思わない、おっかない顔をして、ともかく突っ走っていたんです。それで、巖が出て来たら、途端に、にこにこにこにこにこにこして、今でもにこにこしております。

〈大きな拍手〉

©︎ Rain field Production

小坂

もう一つ、秀子さんの言葉で印象的だったのは、死刑判決を下した熊本典道元裁判官に会われるシーンです。あの場で、秀子さんから、熊本元裁判官の身体をいたわるような言葉が出て来たのに、非常に驚きました。あの対面はどういう時間でしたか。

袴田

熊本さんがね、巖に謝りたいからね、浜松の私の家にお出でになるって言ってたんですね。そうしたら、熊本さんが病に倒られましてね、再起不能のようなことを聞いたんです。それで、たまたま、巖がお正月に、「ローマに行く」って言い出したものですから、じゃ、ひとつ、九州まで行っちゃえと思いまして、1月8日でしたかね、それで、「じゃあ、ローマに行こう」と言って、新幹線に飛び乗って、九州に行ったんです。その時も、笠井さんとご一緒しましてね、九州に行きましてね。巖には熊本さんに会うと言わないで、病院に入るまで、熊本さんって言わないでおいたんです。それで、病院に入ってね、見たところ、だいぶ、弱っておいでになって、意識もわかるかわからないぐらいでしたのでね、その時に、「巖、連れて来たよ、熊本さん」って言ってね、私は自然に声が出ましたね。熊本さんが、いたわるということか、そうおっしゃってくれたことはね、私たち家族は大変うれしく思っております。黙っていれば、黙っていても、それで済む、それをよくぞ、言ってくれたと思って、私たちは感謝しております。

小坂

監督もその場にいらっしゃって、どんな思いで撮影されましたか。

笠井

あの場で熊本さんが「巖、悪かった」というふうに言葉を振り絞ったんですけど、巖さんはあまりわかっていらっしゃらないような感じでした。熊本さんは本当に弱り切って、横たわられていて、その姿を見た時、思わず、「がんばって」という言葉が秀子さんから出てきて、私もあの場面で、一番心に残ったのが、その秀子さんの「がんばって」と言う表情や姿でした。いくら後悔されても謝られても、死刑判決を出してしまったことは、もう取り消せないわけで、これだけの苦しみを与えた張本人と言ってもいい裁判官ですけれど、ああいうふうに励ませるという秀子さんの姿に私も驚きまして、やっぱり、秀子さん、さすがだなあと思いました。とは言っても、死刑を言い渡された、その法廷以来の50年越しの対面だったということで、その場に立ち合い、カメラでその対面を記録をして、その場面を多くの人に見てもらうべきだと思いまして、この映画に盛り込みました。この場面を目撃してくださったみなさんも、いろんなことを思っていただけたら、うれしいなあと思います。

〈大きな拍手〉

笠井千晶監督

小坂

監督は22年前、テレビ局の記者として、関わるようになったということですが、巖さん、秀子さんとの関係性がどんなふうに変わったのか、気になったんですが。

笠井

秀子さん、最初に私と会った頃のこと、何か覚えていますか。

袴田

最初に会ったのは、あなたが静岡から浜松に転勤した時よね。私がたまたま持っていた自分の家が空いていたもんですから、「私の空いている家に住まない?」と言ってね、お誘いしたのが、最初ですよね。

笠井

当時、私は静岡放送というテレビ局で記者をしていまして、その仕事の中で、袴田事件を知りまして、そこから、秀子さんにご連絡して会うようになったんです。その後、会社の人事異動で浜松の支局に異動になりまして、秀子さんが持っているマンションの部屋が空いていて、「そこに入りませんか」とお誘いをいただきました。出会ってからすぐ、記者として取材ということと、同時並行で、私が入居者、秀子さんが大家さんという関係になりました。そういうことで、早い時期から仲良くしていただき、これだけ長く交流させていただいている一つの理由かなあと思っております。

小坂

本作は公開が始まり、これから全国に広がっていくと思います。どう受け止められてほしいとか、こうなってほしいなあとか、ありますか。

笠井

私としては、この映画を通して、袴田巖さんご自身の言葉を聞く、ということを体験していただきたいと意識してつくりました。ニュースで袴田さんのことは伝えられていますが、あまりお話ができないとか、そういった伝え方が多いと思います。そういった中で、袴田さんがお話しする声とか、お話する時の雰囲気や表情であったりとか、それとともに、袴田さんの行動みたいなものを、みなさんに聞いたり、感じていただきたいと思います。袴田さんのおっしゃることは、私たちが全く理解できないことでは、ないんじゃないかと思います。巖さんがたくさんのつらい思いをされて、今に至った、その思いをすごく大事にしたいと考えています。袴田さんの世界の一端を感じて、何かしら、そこから理解できる部分を感じ取っていただけたらと思います。死刑囚であったとか、冤罪の被害にあった人だとか、そういうイメージに止まらない、一人の人としての、違ったイメージがどんどん全国に広がってくれたらなあと願って、これから公開を続けていきたいと思います。

小坂

秀子さんは長い期間、司法であったり、国であったり、そういうところと闘ってきて、今、無罪を勝ち取ったわけですが、社会がどうなればいいと思いますか。

袴田

冤罪被害者っていうのは、はじめのうちは、巖だけだと思っていたんですよ。たくさん冤罪被害者がおります。小さな冤罪であっても、本人からすれば、大変、悔しく、つらい思いをしていると思う。だから、そういうね、よく私が言いますのは、「巖だけが助かればいいと思っていません」。そういう冤罪被害者を、もちろん、再審開始になるようにがんばっていきたいと思っている。それから、再審法の改正ですね。それも一つね、是非ね、早急に検討していただきたいと思っております。私もおかげさまで元気でございますのでね、これからは、やれやれなんて言わないで、ますます、やっていこうと思っております。

〈大きな拍手〉

トークイベント後、映画のパンフレットにサインする袴田秀子さん

●上映情報 10月19日より全国順次公開。公式サイトは次のURLです。

映画『拳と祈り —袴田巖の生涯—』...
映画『拳と祈り —袴田巖の生涯—』公式サイト 獄中生活47年7ヶ月。30歳の元プロボクサーは、88歳の死刑囚となった。生きて還った袴田巖の知られざる闘いの物語。10月19日(土)より、ユーロスペースほか全国順次公開

〇日本弁護士連合会(日弁連)は再審法を変わるため、プロジェクト「ACT for RETRIAL」を行っている。詳細は次のURLです。

ACT for RETRIAL 再審法改正プロジ...
【再審法改正に向けてあなたもACT】スペシャル対談など掲載! 再審法改正に向けたプロジェクトページ。スペシャル対談や調査レポート、高校生とそのご家族のインタビュー、リレーメッセージ動画などコンテンツが満載です。

なお、冒頭の写真のコピーライツは©︎ Rain field Production

●編集担当:文箭祥人

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