大阪のメディアを考える「大阪読売新聞 その興亡」77 松江支局長編【番外】 安富信

  • URLをコピーしました!
目次

談話を捏造、訂正記事も誤報

 松江支局長編の続きをのんびりと書いていたら、衝撃的なニュースが飛び込んで来た。いやあ、びっくりだ。以下、読売新聞5月1日付社会面の記事をそのまま紹介する。

 読売新聞大阪本社は30日、小林製薬製品による健康被害に関連し、取引先企業の反応をまとめた4月6日夕刊の記事で、企業社長の談話を 捏造した社会部主任(48)を諭旨退職、取材に当たった岡山支局記者(53)を記者職から外す職種転換と休職1か月の懲戒処分にすることを決めた。
 8日夕刊に掲載した訂正記事も事実と異なる内容だったため、二河伊知郎執行役員編集局長を給与の3か月30%返上、編集局総務と社会部長をそれぞれ休職2か月の処分とし、いずれも近く更迭する。柴田岳代表取締役社長も報酬の3か月10%を返上する。
 このほか、談話捏造と訂正記事に関与した社会部次長、捏造にかかわった岡山支局の別の記者をそれぞれ休職1か月、岡山支局長をけん責、地方部長を厳重注意とする。
 談話の捏造があったのは、6日夕刊の「紅麹使用事業者 憤り」の記事。企業社長が実際は話していないのに、「突然、『危険性がある』と言われて驚いた」「補償について小林製薬から明確な連絡はなく、早く説明してほしい」との談話を載せ、写真に「『早く説明がほしい』と訴える社長」と説明を付けた。
 社会部主任は、岡山支局からの原稿が小林製薬への憤りという「自分のイメージと違った」として勝手に書き加え、取材記者も、企業社長が言っていない内容と分かりながら修正・削除を求めなかった。
 記事掲載後、企業社長から抗議を受け、大阪社会部と岡山支局は問題を把握したが、編集幹部らが事態を甘く見て捏造と明確に認識せず、十分な社内検討を経ないまま、8日夕刊に「確認が不十分でした」とする事実と異なる訂正記事を掲載した。訂正記事をきっかけに東京本社編集局が指摘し、捏造を確認した。

 前代未聞の捏造報道だ。二河編集局長や社会部長、社会部次長らは、全て筆者が社会部阪神支局や神戸総局で次席(デスク)をしていた時や松江支局長で原稿を見た記者たちだ。談話を捏造した社会部主任と岡山支局員は知らない。2人とも途中入社だとか。
 関連記事もネットに色々出ている。5月16日朝配信の現代ビジネスには、社会部の緊急部会に編集局長までが出席した模様が詳報されている。多分に誇張されているのだろうが、「これではトカゲのシッポ切りだ」と迫る若手記者に対し、「現場取材をちゃんとしましょう」とよくわからない発言をし、オフレコの社会部長の後任人事を発表したといった幹部たちの逃げ腰姿勢が書かれている。まあ、あの編集局長ならさもありなんだが。

「東京からの編集局長」に逆戻り?

 緊急部会! 昔々、大阪社会部にはよく似た事件(捏造事件ではないが)があり、フラッシュバックしたのは、筆者だけではないだろうが、それは今回置いておく。まあ、言語道断な捏造報道だ。もちろん、編集局長はじめ関わった幹部たちにそれなりの処分が下るのは当然で、更迭人事も近く断行されるだろう。東京から編集局長が来るらしい。社会部長も東京からとの話もあったが、流石に見送られそうだという。いずれにしても、40年ほど前に所謂「黒田軍団の粛正」後に、3代続いた「東京からの編集局長」に逆戻りしたことになる。しかし、この連載でそんなことを愚痴ってもしょうがない。もちろんもちろん、こんな記事が許されるはずもなく、関係者に断罪が下されることに異論はない。

前川喜平次官めぐる最悪の政権忖度報道

 ただ、この不祥事に際して、読売新聞のもっと大きな罪を思い出した。それは、時の権利者に阿った重罪だ。改まってだが、マスコミ重要な役割は「権力の監視」だと認識している。それが、一強の安倍政権時代にどんどん蔑ろにされた。その中で、最悪の政権忖度を続けていたのが、読売新聞東京本社だと確信している。その代表が「前川・前文科省事務次官の出会い系バー通い」という記事だ。2017年5月22日付朝刊社会面4段記事。少し前に辞めた前川喜平・前文部科学省事務次官が在任中に都内の出会い系バーに通っていたと。記事内では「不適切な行為」と断じている。何故、唐突にこんな記事が出たのか?自明の理だ。ちょうどその頃、国会で学校法人「加計(かけ)学園」の獣医学部新設を巡り、「総理のご意向」と記された文書の存在が表面化し、前川前事務次官は、この文書の存在を認めていたからだ。あまりにもわかりやすい

さらに、この記事が「政権に忖度した不公平な報道だ」との批判が起きると、12日後の6月3日付社会面に、当時の社会部長の署名記事が載った。「次官時代の不適切な行動は報道すべき公共の関心事」と反論した。笑止千万である。加計学園への疑惑の目を逸らすための政権忖度記事であることは、誰の目にも明らかだ。こうして、社会の木鐸たる新聞社が権利者に阿るようでは、新聞社の存在価値がない、と言っも過言ではないだろう。その意味では、捏造事件より罪は深いと断じる。

捏造背景に大阪社会部の作文文化?

 話は捏造に戻るが、昔こんな事はなかったか?と問われれば、これに近いことが目の前で行われたことがあると答えざるを得ない。先の現代ビジネスのネット版の書き出しにこうある。「元々、この問題は大阪社会部が抱える作文文化が発端です。大阪では現場が取材した原稿をデスクたちが修正していく手法が横行していました」。
 京都支局時代の古都税紛争に絡み、古刹の本堂の改修費に関して文化庁が補助金をカットするという記事で、古刹の代表者の談話が締め切りまでに取れず、社会部出身のデスクが取材記者に「談話を作れ」と命令し、想定される談話を作り、夕刊締め切り後に、代表者に読んで聞かせて確認を取ったのを目撃した。怖いなあ!と思った。その事は、後に代表者が京都仏教会の幹部であったことから、この「不祥事」がわが社を攻め立てる原因にもなったのだが。これは以前、この連載で触れた。
 こんなことを徒然に書いていたら、昨日、観た映画「ミッシング」はある意味、マスコミ報道の在り方に切り込んでいた。事実を報道する、当たり前のことの難しさ、裏表がある。しかし、強い権力者に対峙する姿勢はいつの時代も変わらない。いや、変わってはならない。(つづく)

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次