作品公式サイトのヘッドコピーは「マスコミが報道できない、沖縄―基地問題。その全てを語る!」
沖縄米軍基地をめぐる政治的課題や政策的動向や社会事象や事件・事故や発言など、メディアで報じられることはあっても、そのほとんどは断片的、断面的で、相互の関連性が歴史的な時間軸をもって、あるいは同時代的に国際的な関係性において報道されることはまずありません。
沖縄国際大学の米軍ヘリ墜落事故も普天間基地移設問題と鳩山由紀夫政権の崩壊もオスプレイの墜落事故も、一つ一つの断面として一時期クローズアップされるものの、時がたてば別の話題に社会の興味は移り、しばしば話題になる日米地位協定や日米合同委員会のことも重要な課題だと気になりつつも、自分で資料を読み、敗戦後の歴史とともに考えるということを、多くの日本人はおそらくしない。また、今のメディアで「扱えないテーマ」も存在しているようで、実際問題ニュース番組のコメンテーターなる人々が、日米地位協定の是非を論理的に述べたり、合同委員会の実態に疑問を呈したりするのを聞いた記憶がほとんどありません。
「マスコミが報道できない」という言葉は様々な意味を含んでいると思いますが、まもなく戦後80年、沖縄返還から半世紀以上を経て、「沖縄基地問題」をどのように報道し、考え、論じるべきか、そもそもその知的基盤自体を、喪失してしまっているのではないでしょうか。
さらにテレビの「ワイドショー」は、沖縄の(同時に日本の)問題も、地球気候変動の問題も、東京の最新グルメ情報も、強盗殺人事件も、芸能人のスキャンダルも、すべては世界の断片として相応の報道時間を配分され視聴者に消費されてゆくので、「世の中のすべては等価値」だというある意味哲学的無関心が、発信する側にも、受け手にも蔓延しているという状況も背景にあるような気がします。
そこで、『沖縄狂想曲』です。
今、令和の日本人が「沖縄」の基地問題を知り、考えるために必要な論点を網羅する映像と言葉でつくられた、きわめて明晰で論理的に構成された最良のテキストではないでしょうか。「狂想曲」というタイトルですが、映画自体はむしろ沖縄基地問題についての完璧な「Prelude」として提示され、観た人それぞれの内面に「沖縄」と「戦後史」についての輻輳した知的刺激の「狂想曲」を鳴り響かせる、そういう力の漲る作品だと思えます。
観た人すべてが、「沖縄基地問題」について、さらに多くのことを知り、考え、語り、行動することへといざなう。そういうふうに作られた作品だと。できるかぎり多くの観客に観てほしいと、切に願います。
追記:この作品の鑑賞をさらに興味深いものしていただくために、ぜひ観ていただきたい映画があります。今の「沖縄基地問題」の起源、「太平洋戦争末期の沖縄決戦」を描いた2本の作品です。1本目は、太田監督の前作『乙女たちの沖縄戦~白梅学徒の記録』。沖縄戦では、14歳から16歳の男子学徒を戦場に動員した「鉄血勤皇隊」や、看護訓練を受けた女子学徒隊が組織されましたが、そのひとつ「白梅学徒隊」の生存者の証言と再現ドラマで、「戦争末期の大日本帝国とは、どういう国家であったのか」を描く衝撃作です。
もう1本は『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971)。沖縄戦の全貌を描いた東宝の大作戦争映画で、沖縄返還の前年に公開されました。脚本・新藤兼人、監督・岡本喜八の圧倒的な戦争映画。歴史映画としても、人間ドラマとしても、戦場アクションとしても、ディスカッシ劇としても見事な作品で、戦後日本映画史に特筆されるべき傑作です。
(ちなみに庵野秀明監督は100回以上観たとかで、エヴァンゲリオンやシン・ゴジラにもその影響が・・・。)
『沖縄狂想曲』で語られた、沖縄の今への共感や戦後日本史の起点を知る感性に、これらの映画は刺激を与えてくれるはずです。
●そのざき あきお(毎日新聞大阪開発エグゼクティブ・プロデューサー)
〇映画『沖縄狂想曲』は、2月3日から全国順次公開。
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