2024年の元日に起こった能登半島地震から1年が経過しました。
発災直後は、その直前まで輪島塗の技術記録映画を撮影していた者として、激しく動揺しました。特に撮影をおこなっていた輪島塗技術者の方々の安否は、断片的な情報であっても集めようとしていました。「月刊風まかせ」に緊急寄稿した際も、アップすることで安否の情報が得られるかもしれないという気持ちがありました。
https://kazemakase.jp/2024/01/wajimanuri-2/
https://kazemakase.jp/2024/01/wajima-nuri2/
ご縁のある技術者の方々は無事でしたが、ご自宅や工房が倒壊・半壊しとても生業どころではない状態との報せも受けました。
映画をつくる者として、なにか役にたつことが出来ないか。
技術者の一人、輪島塗の髹漆(きゅうしつ・漆塗りの意)を担っている坂下光宏さんが仕事を再開しようとしていることを知ったのは震災から一か月半後にお見舞いにうかがった時でした。
坂下さんは明治中期に創業した塗師屋の三代目です。国の重要無形文化財「輪島塗」の保持団体である輪島塗技術保存会の髹漆部門技術会員として、確かなわざと知見を活かして伝統を担ってきました。坂下さんの工房はかろうじて残っていましたが、いつ倒壊するかわからない状態でした。
仕事を再開、といっても依頼はありません。それどころではない。分業で成り立つ輪島塗ですが、その全ての部門が機能停止になっている。仕事道具は激しい揺れで吹っ飛び行方不明になったり損傷を受けていますし、漆や下地材といった素材も紛失している。幸いなことに坂下さんの工房は道具や素材への影響が少なかったのですが、それゆえに、ものづくりの機会が奪われていることへの落胆と焦燥感が表情から滲んでいました。
そんな坂下さんが「破損した輪島塗を修理する」という活動をはじめた時、“有事の中で続けられる輪島塗”という視点でその活動を撮影し、その道程を映画にすることで彼と伴走しようと覚悟を決めました。
輪島塗は優美さと共に長く使える丈夫なうつわとしても知られています。
薄い木地の上にクッションとなる布を着せ、下地の粒子が粗いものから細かいものへと地層のように塗り重ね、その上に中塗・上塗と工程を積み上げていく輪島塗は人の生涯よりも長い時を耐えて残り続けます。私たちが目にする輪島塗の器面は朱や黒の美しい色漆で彩られているのですが、その内部には100近くの工程を経て完成する〈本堅地〉と呼ばれる強靭な鎧が器物を守っているのです。
その輪島塗も震度7による家屋倒壊の衝撃には耐えられず、多くが原型をとどめないほどに粉砕し、欠損し、焼失しました。百年、それ以上の歴史を持つ器も自然の力の前には抗うことが出来ませんでした。けれど中には、破損しながらも生きのびたものもあったのです。修理すれば元の姿によみがえることができる。ただ美しい見た目だけでなく、輪島塗らしい堅牢さも備えた器としてです。
撮影をはじめた頃、仕事場は激震の影響であらゆるものが散乱している状況でした。チリや埃が器に付着することがないように清潔な空間、整理整頓した環境でおこなわれるのが漆の仕事なのですが、必要最低限の作業スペースを確保して修理に向かわざるを得ないのが当時の坂下さんの置かれた現実でした。
器面の上塗漆を砥石や炭で水研ぎして剥がすと、本堅地の内部構造が見えてきます。どんな素材でどういう工程で作られているのか。器物への衝撃がどの漆層まで影響しているのか。手にとるようにわかる。輪島塗の技法が確立された頃からつくり方が不変だからです。新品を手がけるだけでなく、工程を遡って、後の時代でも修理できるようにつくられているのもまた輪島塗なのだということを知りました。
器をつくった時代背景もまた、修理を通して知ることができます。目の詰んだ木地材をふんだんに使った器物からは往時の能登の植林事情がうかがえますし、下地に使う地の粉の粗さ、布地の選び方や布目の細やかさも時代によって変化します。それだけではありません。素材の特徴を見抜いていかに均一な塗厚を実現したか、変形しやすい木地を制御したか、先人たちの技量もわかるのです。
破損した器の断面から顔をのぞかせた先人の技術に感嘆しながら補強を進める坂下さん。それは同時に震災という有事の中で「用の美」を追求する、彼自身の現在地を見つめることにもつながっていきます。
輪島塗の修理に焦点をあてることで浮かび上がってくるのは、持ち主の存在です。親から子、孫へと継承された椀や御膳。重箱。仏具。調度品…輪島塗には持ち主が綴った折々の物語があり、家族や地域単位の生活文化やアイデンティティが投影されています。特に地元の人にとって、輪島塗は日本の漆文化を代表する誇り高い工芸品ですし、いつも身近にある器でもあるのですから、愛着もひとしおです。持ち主が大切に扱うことによってはじめて輪島塗の寿命が保たれるのだし、修理というアフターサービスも意味を持ちます。
持ち主に話を聞きにうかがうと、器を媒介にしていきおいご自身の今日までの歩みとこれからのこと―つまりは身の上話へと展開していくのです。この映画で記録したい、もうひとつのテーマが浮かび上がってきます。
坂下さんの打ち込む姿を撮影しているうちに、この修理には、ご自身の生業と共に、生まれ育った地を襲った、震災からのよみがえりと重なるメッセージが込められているのかもしれないなと思うようになりました。
震災の後も豪雨災害に襲われ、よみがえりは「リセットどころかマイナスからのスタート」と坂下さんは仰います。再建の槌の音が工房の外で響き渡っていますが、工房は傾いたままで修繕の見通しが経たず、倒壊したご自宅の解体も行われていません。
それでも坂下さんの輪島塗に向かう姿勢に変わりはなく、私の伴走も続いていきます。
「月刊風まかせ」のご厚意にあずかって、この伴走で得た私なりの感想をこれからも綴っていきたいと思います。
2024年12月28日 井上実(記録映画演出)
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