能登半島地震からひと月あまり経過したころ、避難所や被災者支援施設で輪島塗のコップや取り皿、お箸やお椀で食料を支給している場面を見かけました。聞くと、倒壊した家屋や店舗のあるじから〈救出したうつわを使ってほしい〉とボランティアグループに寄付されたもの、とのことでした。
漆器なら使用すれば洗って繰り返し使用ができるのですが洗浄する手間がかかり、地域によっては洗う水もまだ足りていない時期です。あたりは地震から時が止まってしまったかのような状況の中、炊き出しで輪島塗のお椀にたっぷりとつがれた汁物を手にした方たちの暖かな表情を見た時、復旧の兆しはこういうところにひそんでいる、ちゃんと見なくては、と感じたものでした。

輪島塗が大好き、という地元の方にお会いした際も、〈紙皿から輪島塗へ〉という話を聞きました。自衛隊や支援グループからいただく食事のありがたさがしみいる被災直後、少しずつ回復していくライフラインを見ながら先の見えない未来に心が塞ぎこんでいた避難所生活を経て、日毎の食事が盛りつけられた紙皿を手にした時、「ちゃんとしたうつわで食べたい」という気持ちになったそうです。

地震で料亭を失ったご主人は、圧壊した厨房から塗師屋の叔父が作った合鹿椀を救い出し、仮店舗で使っていました。お椀を見せてもらうと、高台の接地部は長年の使用で補強の布が露出しています。これでは洗うたびごとに水分が木地に浸透し、腐食が進んでしまいます。ですがご主人は使える限りはそのままでと、修理に出さないと決めているそうです。うつわもまた、自分と一緒に過酷な災害を生き延びた証であり、二人三脚でまた進んでいきたいからだと。
料亭を応援してくれた叔父は震災で命を失いました。うつわを通して叔父を身近に感じていたいという思いを語ってくれました。
これらのエピソードは珠洲焼や輪島塗といった歴史あるうつわ文化の発祥地、奥能登ならではの感覚にあふれています。高価で貴重な逸品という、私を含めた多くの方々の価値観と異なり、産地に生きる方々にとって、輪島塗のうつわは生活の傍らに普通にあるものなのです。加えて輪島塗は堅牢であり、親から子、孫へと受け継がれることからファミリーヒストリーの語り部ともなっています。食べ物を盛り付ける、という役割を超えて、うつわは自身の歩みをふりかえる時の記憶装置になり、過酷な被災・避難生活から元の暮らしに戻っていくための励ましにもなる、ということに気づかされました。

輪島塗技術者、坂下光宏さんのもとにはいろいろなうつわの修理依頼が来ます。
衝撃で欠けた口縁、熱ものにさらされて劣化が著しい塗漆、虫食い穴や経年で傷んだ木地などです。そこに地震や豪雨災害で傷ついたうつわが加わるようになりました。


撮影当初、工房に運び込まれたうつわを見て“これなら新品を購入したほうがいいんじゃない?”と思うことが幾度かありました。しかし輪島塗は不具合があれば処分して買い替えるというような華奢なつくりではないのです。丈夫で長持ちだからこそ使う人の愛着が込められていくのだし、かけがえのないものだから修理をお願いしているのだ、とだんだん思うようになっていきました。


依頼主さんとの修理打ち合わせに際して坂下さんが留意していることがあります。ひとつはコストです。工程数の多い輪島塗は手間と時間がかかることはご存じの通り。傷み具合によってはそれなりの技術料がかかってしまいます。漆という高価な材料費も加わってきます。〈本堅地〉と呼べるくらい下地を丁寧に施すか、使用に差し支えないくらいの修理にとどめておくか(と言っても輪島塗と呼称する技法と品質を保持して)、コストについて依頼主さんと事前に打ち合わせします。
もうひとつは修理方針です。傷ついた部分なのかあるいは全体なのか。下地から上塗まで全体まるっとやり直す。そうすればうつわは新品のようによみがえるかもしれません。しかしそうしてしまうとうつわがこれまで辿ってきた歩みをリセットすることになってしまいます。これは先に触れた〈修理しない合鹿椀〉を想起させ、なかなか難しい問題です。修理は塗られた漆を削り取ることから始まり、傷んだ個所のみタッチアップすると、そうでない部分と色や質感に差異が生まれてしまう。美観を優先するなら総塗り替えでリセットです。これに正解はなく、修理品ごと依頼主さんが思い望む姿に応じた技術が求められるのです。

リセットの意味合いは元のうつわをつくった過去の職人さんたちのわざにも及びます。過去につくられたオリジナルのものに対して手を加えていくことの意味を、今を生きる技術者たちが問われるわけです。そのうつわが美術工芸としての価値を持つものなら問いはなおさら鋭敏なものになるでしょう。「修理くらい気を遣う仕事はない」と撮影当初坂下さんは仰っていましたが、記録が進むうちその理由がわかってくるようになりました。

震災で破損した厨子の修理箇所を確かめる際、坂下さんは「不幸にも怪我されていますので…」と漏らすときがありました。その言葉を聞いた時、坂下さんもまた輪島で生まれ育った被災者の一人であり、傷ついた輪島塗に自身を投影しながら日々を過ごしているのだと気づきました。
先人たちの手によって生まれ、持ち主の手に渡り、いろんな場面で使われ、気がつけばあちこちに皺を刻んで、今また産地へと帰ってきたもの。
地震でつぶされ、破損し、豪雨で泥にまみれたもの。
どれも持ち主の人生が投影されたうつわばかりです。
そんなうつわたちを坂下さんは「おかえりなさい」と心の中で言って迎えるそうです。工房にはよみがえりを待つうつわたちが物言わず眠っているように見えました。

〇 井上実(記録映画演出)
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