『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』が語ること、語らないこと~ここから何かが始まる映画~  園崎明夫

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1972年11月8日、早稲田大学文学部キャンパスで第一文学部2年生の川口大三郎君が亡くなった。当時、文学部学生自治会を支配していた新左翼党派・革マル派による凄惨なリンチが死因だった。川口君が、革マル派と敵対する中核派のスパイだという誤認が原因といわれる。

©「ゲバルトの杜」製作委員会(ポット出版+スコブル工房)

その死に衝撃を受けた早大一般学生が立ち上がり、自治会から革マル派を追放して、民主的な組織を作ることを目的とした「早大解放闘争」が始まる。それは「内ゲバ」の時代を終わらせ、新しい学生運動を生み出す可能性を秘めた闘いのはずだった。しかしその闘争は革マル派の「革命的暴力」の前に分裂し、わずか1年で収束してしまう。

その後この「川口君リンチ殺人事件」を機に、革マル派と中核派の「内ゲバ」は他セクトも巻き込みエスカレートしてゆき、結果的に100人を超える死者が出る。

この「川口君殺人事件」とその後の学内闘争の状況を記録した著作が、『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』で、著者は当時「早大解放闘争」のリーダー的存在であった樋田毅氏。映画『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』はこの本を原案として製作された。

樋田毅さん ©「ゲバルトの杜」製作委員会(ポット出版+スコブル工房)

樋田氏をはじめ当時「早大一般学生」で闘争にも関わった人たちへのインタビューや池上彰、佐藤優、内田樹らの識者コメント、鴻上尚史演出の「リンチ殺人」再現ドラマなどで構成されている。

©「ゲバルトの杜」製作委員会(ポット出版+スコブル工房)
鴻上尚史さん ©「ゲバルトの杜」製作委員会(ポット出版+スコブル工房)

観ている最中も、直後も、それなりに時間が経ってからも、次から次へと疑問や好奇心や失望や反感や怒りや後悔やらが湧きあげてくる、衝撃的で、不穏で、心乱れる映画。鑑賞後のそんな有り様を、もしある種の「感動」と呼ぶのなら、実に感動的な作品ですが、その感動レベルは、もちろん観客の年齢や関心領域や知識量にもよるのでしょう、当然ながら。

私の場合、何よりも70年代の「内ゲバ殺人事件」について自分があまりにも無知であることをいやというほど自覚させられました。そして何故それほど無知なのかとも自問しました。個人的に1972年は「連合赤軍事件」の年としてずっと認識していて、「川口君リンチ殺人事件」そのものも、それ以降74年、75年に至る「内ゲバ殺人」がこれほどの陰惨な状況で、多くの犠牲者を生んでいたことも、ほとんど認識していませんでしたし、樋田氏の本もすぐに読んで、さらに衝撃を受けました。衝撃の中身は、簡単に言えば「これほどの思想的、社会的重大事が、半世紀にも亘ってあまりに語られていない」事態についてというべきでしょうか。

©「ゲバルトの杜」製作委員会(ポット出版+スコブル工房)

ちなみに2000年以後に出版された坪内祐三氏(代島監督と同じ1958年生まれ)の『1972』はとても興味深い面白い本ですが、72年を象徴する出来事として「連合赤軍事件」には相当のページ数が割かれているものの、早稲田大学構内リンチ殺人事件やそれ以後の「内ゲバ」事件については、ほとんど記述が見当たりません。

そもそも、あの1968年から、衰退の72年に至る学生運動、学園紛争とは何だったのかということ自体、今ではほとんど議論されていないようです。誰言うともなく口にされるような「夢と失意の日々」ではあまりに情緒的でしょう。池上彰氏は映画の中で「当時の学生運動がその後の社会に与えた影響は?」との趣旨の問いに、「大学で教室の机と椅子が床に固定された。バリケードを造られないため。」と答え、周囲の笑いを誘っています。発言の意図はわかりません。

そういう意味では、樋田さんの著書の最後にある元革マル派幹部の方との対談は、この本のなかでも最も重要な箇所だと思います。そこにはかなり正直な(ある意味著者をいらだたせるほどの)真実が語られているようにも思います。かつて橋本治が『ぼくたちの近代史』で「全共闘ってなんだったのかっていうと『大人は判ってくれない』」だと、「自分たちがジタバタしていることをいくら叫んでも『大人は判ってくれない』となると、その力は自分たち自身に向かうしかない」と言う意味の文章をかいていましたが、どこかつながるような気がします。

何十年かぶりに高橋和巳の『わが解体』を引っ張り出して「内ゲバの論理はこえられるか」も読んでみました。著者は71年5月に亡くなっているので、連合赤軍事件も川口君事件以後の「内ゲバ」状況も知りようがない。死を目前にした苦渋に満ちた叙述のなかで、それでも、「内ゲバの論理」を克服してゆく道のひとつは、加害者、被害者どのような立場にいた関係者であれ、「内ゲバ事件」の体験から得た自分の「反省」や未来への「志」を、第三者に語るべきだと考えていました。「ただ憂慮するだけで、口を噤んでいる人々に訴えたい。」「おのおの、かけがえのないその志を言え!」「それぞれの体験に根差し、こういう風にすれば、こうなってしまうと解かっていることがあるのなら、それを言え!」、高橋和巳がそう訴えてから半世紀以上の時が経ちましたが、それは、語られてきたのでしょうか。

©「ゲバルトの杜」製作委員会(ポット出版+スコブル工房)

いずれにせよ、観客それぞれ、映画を観た後、様々な観方のある(あり過ぎる)映画、内面に何かを思い起こさせる映画だと思います。観てから自分の中でなにかが始まるというか。そして、令和の今、当時の学生たちと同世代の若い観客の人たちはどのように観るのでしょうか?感想、訊きたいです。あと、さしあたり樋田さんの本は、映画とセットで必読だと思いますので、是非。

●「ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ」公式サイト

http://gewalt-no-mori.com/#modal

〇そのざき あきお(毎日新聞大阪開発 エグゼクティブ・プロデューサー)

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