『キャメラを持った男たち-関東大震災を撮る-』には、遺された震災記録映像の他にもいくつかの歴史的な映像をはさみこんでいます。
紅葉狩(提供:国立映画アーカイブ)
『紅葉狩』は、現存する日本最古の国産映画で、明治32年(1899年)に製作されました。歌舞伎舞踊〈紅葉狩〉の一場面を九代目市川団十郎、五代目尾上菊五郎が演じ、撮影技師・柴田常吉がおさめたものです。オリジナルのネガフィルムは見つかっていません。ですので、現存する昭和2年にプリントされたフィルムに対し、国は映画で初めての重要文化財に指定しました。
参考:映画フィルム「紅葉狩」映像。文化遺産オンライン
日本映画は『紅葉狩』がそうであるように、芸能が映画の誕生期から強く結びついていました。歌舞伎、浄瑠璃、能…これらの伝統芸能から筋書きや所作、心理を上手に転用して時代劇に、悲恋ものに、と作品ジャンルを広げていきます。『シン・ゴジラ』は和泉流狂言方、野村萬斎がゴジラのモーションキャプチャーをつとめましたが、そのニュースを読んだとき、今も続く映画と芸能との因縁を思わざるを得ませんでした。
高名な人物の葬儀の様子や、まるで「動く絵葉書」のような浅草、日本橋の映像といった、日常性とはほど遠いモチーフの映画、非日常な映画。これも日本映画誕生期の特徴です。同じ誕生期でも『工場の出口』や『水をかけられた散水夫』のような日常性・記録性に重きを置いたフランス・リュミエール兄弟の映画たちとは好対照です(もっともリュミエール以降のフランス映画やアメリカ映画、ロシア映画やドイツ映画もやがては空想的な題材を扱うことになるのですが)。
『工場の出口』
『水をかけられた散水夫』
その後も日本映画は非日常のうたかたの夢へと観客を誘います。モノクロームの映像にどぎついまでの色彩で染色したり、音のない映画の代わりに弁士が節を回しながら解説したり、小唄や囃子を交えたり…。もうそうなると非日常というより見世物という表現が似合うかもしれません。作り手たちも映画をよりユニークな見世物にしようと知恵を絞り、腕に磨きをかけていたと思います。
活況の浅草六区映画街(『キャメラを持った男たち』より)
〈連鎖劇〉というジャンルが当時ありましたが、物語の背景や進行を映画で、アクションを舞台で実際の役者を使って演じさせるという、今ならさしずめハイブリット映画(演劇)とよばれるものです。
白井茂(『キャメラを持った男たちより)
『キャメラを持った男たち』でとりあげているキャメラマン・白井茂はその連鎖劇、清水次郎長の映画パートを撮影すべく埼玉県熊谷市に向かい、準備にとりかかっている最中に激しい揺れを経験します。
高坂利光(『キャメラを持った男たち』より)
また東京向島にあった日活撮影所で地震に遭い、急いで浅草十二階へと向かった高坂利光は、撮影所で『恋と戦ふ女』という劇映画の撮影中でした。
関東大震災の被害を記録したキャメラマンは、必ずしも今でいうところのニュースやドキュメンタリーのカメラマンではありませんでした。むしろ非日常のひと時を観客に提供する側の撮影技師として活躍していたのです。
震災記録映像(『キャメラを持った男たち』より)
激震と大規模な火災によって瓦礫の風景へと変わってしまった東京を、キャメラマンたちは非日常の舞台としてとらえていたのかもしれません。映像素材としてこれ以上ないネタであり、よりセンセーショナルな出来事を撮影したかったと思います。ですが、一旦現場に足を踏み入れれば、日常か非日常かということはどうでもよくて、ただ目の前の惨状に立ちすくみ、これをどう撮影すべきか、そもそも撮影自体すべきなのか、葛藤を抱えながらキャメラを回すことだけを考えていたのではないでしょうか。
震災記録映像(『キャメラを持った男たち』より)
しかしその惨い状況をフィルムの中でしか知ることが出来なかった人々(主に地震の影響を被らなかった地方の興行者)にとって、現場の映像は非日常が凝縮された、巨大な見世物として受け取った可能性は否定できません。
震災記録映画公開当時の浅草六区映画街(『キャメラを持った男たち』より)
震災記録映画の新聞広告(『キャメラを持った男たち』より)
その証拠に震災記録映画は、時代劇や西部劇、冒険ものや色恋ものと同じ木戸銭を払って観る興行番組となっていくのです。そして報道性、速報性としての価値が低くなった後は、廃墟のセットを組んで阿鼻叫喚と慟哭の筋書きを俳優が演じる〈震災キワモノ映画〉となって濫作されていきます。こうして関東大震災の映画も非日常の日本映画として消費されていくのです。
震災キワモノ映画の紹介記事(『キャメラを持った男たち』より)
震災キワモノ映画への警鐘記事(『キャメラを持った男たち』より)
私もまた、動画投稿サイトにアップされた衝撃映像をみますし、ハリウッドの大作映画も観に行きます。震災記録映画や震災キワモノ映画が上映された当時にタイムスリップしたら真っ先に小屋に駈けつけるでしょう。野次馬根性丸出しです。
ただ『紅葉狩』をはじめて観た時、日本映画が嗜好する非日常性との切っても切れない臍の緒をみる思いがしたし、その宿命の中で、光に変換された日常を表現するドキュメンタリー映画をつくるのだ、という面倒な決意をあらたにもしたのです。
●井上実『キャメラを持った男たち-関東大震災を撮る-』演出
〇映画『キャメラを持った男たち』公式サイト
コメント