非正規労働と労働組合を考える② 「私が正社員になるまで」 元毎日放送アナウンサー水野晶子さんトークライブ(編集担当 文箭祥人)

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毎日放送アナウンサーとして長年、テレビやラジオに出演してきた水野晶子さん。定年退職後の現在もフリーアナウンサーとして仕事を続けている。水野さんは1981年、毎日放送でアナウンサーの仕事を始めるが、非正規の契約アナウンサーとして採用された。およそ7年間にわたり、正社員アナウンサーになるため闘いを続け、ようやく正社員となった。5月29日、大阪市内で開催された<非正規労働と労働組合>をテーマにしたトークイベントで、水野さんは「私が正社員になるまで」と題して、7年間の闘いを話した。その記録です。冒頭の写真は、「ドキュメンタリー朗読「ヒセイキの風景」上演中の水野晶子さん。ピアノ奏者は三浦直樹弁護士。

会場には、非正規で働いている人たち、非正規労働問題に取り組んでいる労働組合員、そして、労働組合をつくり会社を相手に裁判を起こした元非正規労働者、現在係争中の非正規労働者の裁判を支える労働組合のメンバーら48人が集まった。

このトークイベントのタイトルは「ドキュメンタリー朗読「ヒセイキの風景」&水野晶子さんトークライブ~ヒセイキのたたかいと労働組合」。主催は民主法律協会(民法協)。民法協は1956年、平和・民主主義・働く人々の権利を守り発展させることを目的として結成された「働く者の権利センター」。大阪を中心に、弁護士、学者・研究者合わせておよそ270人、およそ150の団体が会員。

目次

非正規の闘い、労働組合は大きな役割を果たしている

村田浩治弁護士

民法協の幹事長、村田浩治弁護士が開会のあいさつでこう話す。

「私自身、裁判闘争の中で正規化を勝ち取るという闘いをずっとやってきましたけれども、実は裁判以外に労働組合が支援して、正規化あるいは直接雇用化を勝ち取った事件は多くあります。水野さんのケースもその一つです。しかし、非正規の人たちの闘いの中で労働組合が非常に大きな役割を果たしていることはあまり知られていません。裁判になれば報道されますが、労働組合がかかわって地道な形で交渉して成果を上げた場合は、なかなか表に出て来ません。<非正規の闘いと労働組合>に光を当てた企画をやりたいと考えました」

トークライブ「私が正社員になるまで」の聞き手は若手の脇山美春弁護士。脇山弁護士は所属する堺総合法律事務所のHPにこう書いている。

<働くことはすべての人の生活の基礎である。ここを少しでも改善することができれば、たくさんの人の暮らしがよりよくなるのではないか。そういった思いから「労働弁護士」になろうと決めました>

40年前、男性アナウンサーは正社員、女性アナウンサーは非正規 これが当たり前だった

トークライブは、水野さんが毎日放送でアナウンサーを始めたおよそ40年前に遡り、スタート。脇山弁護士がこう質問する。

「放送局の女性アナウンサーは正社員が当たり前だと思っていました。40年前は、そうではなくて、女性の非正規のアナウンサーが当たり前の時代だったんですか」

水野さんはまず、当時の就職の状況を振り返る。

「4年制大学を卒業した女性は生意気だとか、(とう)が立ったとか言われて、なかなか就職が難しかったんです。まず、びっくりでしょ」

脇山弁護士

「許せない感じがします」

水野さん

「私たちはそれが普通だと思っていました。会社は腰かけの女性がほしくて、腰かけでなくて、本気で来られたら、「おい、おい、止めてくれ」みたいな雰囲気でした」

この頃、放送局に正社員の女性アナウンサーはいたのか、水野さんはこう説明する。

水野さん

「NHKにはずっと、正規の女性アナウンサーがいました。民放は戦後の草創期、正社員で女性アナウンサーを採用していました。私の先輩に3人の正社員の女性アナウンサーがいて、結婚して出産して会社を辞めないでアナウンサーを続けていました。会社は、若い女性アナウンサーがほしいと思ったんでしょうね、正社員として女性アナウンサーを採用するのを止めようという動きになりました。全国どこの民放も同じでした。私が毎日放送に非正規の契約アナウンサーとして働き出した時、3人の先輩から20年近く、正社員の女性アナウンサーを採用しませんでした。非正規で採用された女性アナウンサーは長く仕事を続けられなくて、ほとんどが辞めました。これは毎日放送だけではなく、全国どこの民放もそうだったんです」

脇山弁護士

「水野さんと同じ年に毎日放送に入って男性アナウンサーは正社員ですか」

水野さん

「正社員です」

脇山弁護士

「待遇はどうでしたか」

水野さん

「私は、毎月12万円でしたかね。そこから源泉徴収されて、社会保険料や年金の掛金は会社から出ないし、交通費も出なかったんです。本を買いたい日は、社員食堂ですうどんを食べると決めていました。着る服がなくて、ジーパンで会社に行くと、「あなた!女性アナウンサーがジーパン!」と怒られました」

アナウンサーの教育期間中、同期の正社員の男性アナウンサーと飲みに行って…。

水野さん

「「給料なんぼもうてんの?」と聞いて、びっくりしました。私の3倍から4倍ぐらいだとわかりました。「ごちそうして」と思わず言った思い出があります」

給料は大きく違うが、男性アナウンサーと同じアナウンサー教育を受けたという。

水野さん

「毎日放送は、同期の男性アナウンサーと同じように、何か月もきちんとアナウンサー教育を与えてくれました。そこは素晴らしかった」

脇山弁護士

「格差是正してやる!そういう気持ちにはならなかったですか」

水野さん

「いやいや、そんな思いはありませんでした。私はアナウンサーになるのが、ずっと憧れで、アナウンサーになるまで、ものすごく苦労しました。アナウンサーになりたい女性は当時もたくさんいて、すごい競争率でした。先輩には「文句があるなら、明日から来なくていい。君の後ろに数十万人いるから」と言われました。毎日放送でしゃべらせてもらえる、教育をきちんとしてくれる、それはものすごく大きな喜びでした。お金のことで文句は言えない雰囲気でした。男性は正社員になれて、高い給料をもらって、私は女だから、2、3年で辞めてくれ、と思われているんだなと感じていました。そもそも当時、「男女格差」という言葉は聞かなかったですね。「男性と同じ仕事をしているのに男性と女性で給料が同じではない、これはおかしい」、とても考えつかないことでした」

男女雇用機会均等法ができて、会社は非正規の女性アナウンサーに「来年から来なくていい」

水野晶子さん(右)、脇山美春弁護士(左)

脇山弁護士

「正社員化を求める動きを始めるきっかけは?」

水野さん

「一番大きかったのは、男女雇用機会均等法ができたことです」

<男女雇用機会均等法>

1985年に成立し、翌年に施行。雇用の分野での男女の均等な機会・待遇の確保、女性労働者の職業能力の開発・向上などにより女性労働者の福祉を増進させることを目的に制定された。1979年に国連が採択した「女性差別撤廃条約」を日本は1980年に批准し、国内法を整備するためこの法律ができた。

水野さん

「この法律ができた時、私は20代半ばでした。男性アナウンサーと同じように報道の仕事をしていました。他にも、ラジオのメインパーソナリティーもやっていました。男性アナウンサーと全然そん色なく働いていたと思います。こうした時、男女雇用機会均等法ができました。私は男性に比べてとても安い給料で、1年契約更新で、いつ辞めさせられるか、わからない、そんな不安定な状況でした。こういう状況がよくなるんだと期待しました」

脇山弁護士

「そう思いますよね」

水野さん

「そうしたら、上の人に呼ばれて、「申し訳ないけれども、来年の契約は更新しません」と言われたんです。なぜかというと、男女雇用機会均等法で女性差別はいけないから、来年から女性アナウンサーを正社員で採ります、だから、あなたは来年はいりません、そう言われたんです。意味、わかりますか?」

脇山弁護士

「わからないですよね」

水野さん

「この法律に合わない現状を、私のことですが、排除しないと会社は法律違反になるから、私の現状を変えようではなく、この人は法律違反と言われてしまう存在だから、いなくなってもらおうという判断だったと思います」

脇山弁護士

「どう考えてもおかしいと思います。まず労働組合に入って、そして団体交渉をして、というのが適切かと思いますが、水野さんはどうだったんですか」

水野さん

「労働組合を信じていなかったんです。会社に行くと、正門で組合の人がビラをくれるんですが、それを見たら、「ボーナス回答〇〇〇万円」。それで回答を拒否してストか、と書いてあるんです。私にはボーナスがないわけですから、ボーナスなんて!と思うじゃないですか。ボーナスの金額を見て、「なにこれ!」とビックリするわけですよ。私の年収より高い!私なんて、虫けらと痛感しました。そんなビラを渡されてどう思いますか?!」

脇山弁護士

「腹立ちますよね」

水野さん

「腹立ちますよね。どんだけ金持ちやねん!まだ、金が欲しいのか!と心の中で思いました。私よりアナウンスが下手な先輩も、仕事をしない先輩もいると思っていました。それでこれだけもらっている、労働組合に対してものすごく、不信感以上の反感を抱いていました」

脇山弁護士

「水野さんと同じ立場の誰かが、労働組合に相談に行きましたか」

水野さん

「来年契約しないと言われた後輩が、私のことをある人に相談してくれて、その人から労働組合に話がいって、労働組合の人に声をかけていただきました。私はそれでも、労働組合の人と係わるのがすごく嫌でしたが、「組合に入ったらどうですか」と言われました」

この誘いに水野さんは後ろ向きだった。

水野さん

「私がおかしいと思っている、その違和感は本当に正しいのか。人からみて、社会的にみて、私の違和感はどう映るのか。それがすごく怖かったんです。だから労働組合にも背を向けていたんです」

自身の心中を、こう吐露する。

「問題がなければ、ずっと会社にいられると口約束されていたので、ずっといられると思っていました。それが来年から来なくていいと言われ、実際はクビです。こんなあやふやな契約を結んで、仕事をしていたのかと自分を恥じたんです。自分はバカだった、世間知らずだった、ものすごく自分を責めました。泣きじゃくる日々でした」

「あなたは闘ってもいい、いや闘わなければいけない」弁護士の言葉

労働組合に対して信頼感を持てず、自分自身を責める水野さん。労働組合がこう声をかける。

「一回、弁護士に話を聞いてみよう」

この一言が事態を動かす。

テレビのドラマでしか見たことがない、弁護士はそういう存在だったと水野さんはいう。ところが、弁護士との出会い、そして、その時に聞いた言葉が水野さんを大きく変える。

水野さん

「初めて弁護士の先生とお話をしたのが、豊川義明先生です。豊川先生の一言があって、私は今、しゃべり続けられています」

豊川弁護士は水野さんにどのような話をしたのか。

水野さん

「男女雇用機会均等法の、そもそもの趣旨は何であるか。女性が働きやすくするためのもので、男性と同じ条件で女性が働けるようにする、これが趣旨だと聞きました。だから、私のような非正規が切られるのは趣旨に反する、だから、あなたは怒っていいんだって、闘っていいんだ、いや、闘わなければいけないんだ、そう言ってくださいました。それで私は目からうろこと言いますか、えっー!って。なんとなく自分の中でおかしい、おかしい、私の扱われ方はおかしい、と思っていましたが、本当におかしいと言っていいんだ、はじめて、しっかり言葉にしてくださいました。そこで大泣きしたのを覚えています」

さらにこう続ける。

「弁護士の先生に出会って、法律は、このためにつくられているんだよ、そこを知った時の安心感!そして、自分自身をずっととがめてきたけれども、それは無知であっただけで、ちゃんと法律を知れば、声を上げていいんだと自分自身を肯定できる、自分のことを自分で認められる、これはものすごく大きかったですね」

脇山弁護士

「そういう言葉をかけられる弁護士にならないといけないですね」

水野さん

「本当にそうです。会社に対して、「おかしいと思います!」と私が言った途端、周りは飼い犬に嚙みつかれた、そういうふうに感じたんでしょうね。急に冷たい目で見られるようになりました。「おかしいと思います!」と言うだけですが、勇気がいります。背骨を支えてくれる人がいなければ、とても一人では立てないと思います。しっかり支えてくれたのが、法律の意味をちゃんと教えてくれた弁護士の先生でした。そして、労働組合も「支えよう」と言ってくれました。たくさん支えてもらって、初めて、自分の足で地に立った感じがしました」

労働組合に加入 ビラを書き、出勤する正社員に配る日々が続く

脇山弁護士

「労働組合に入って、どんな活動をされましたか」

水野さん

「労働組合に入れば、何かことが進むと思いました。会社とやり合ってくれて、私のクビはなくなると思っていたら、全然そうではありませんでした。「君、ビラ書いてや」と言われて、「私がビラですか!?」、まさかと思いました」

労働組合の幹部はこうアドバイスしたという。

「自分の言葉で書かないと、みんな読んでくれません」

当時、ワープロがすでにあった時代だったが、水野さんはガリ版を選ぶ。

水野さん

「先輩に勧められて、ガリ版で自筆でビラを書きました。ガッ、ガッと筆圧をかけて、書くんじゃなくて、刻むんです。毎日毎日、一字一字思いを込めてビラを書いて、配りました。しばらくしてから毎週に変わりましたが。毎日は大変なんですよ。だからネタを見つけるんです」

こんなビラを書いていたと水野さんが紹介する。

<今日は、社報がみなさんのデスクに配られました。私のデスクには配られていません>

<今日は会社の創立記念日。紅白まんじゅうが配られました。おいしかったですか。私はもらっていません>

当時、働いている人それぞれの机に電話が置かれていた。水野さんのデスクにも電話機はあるが、社内に配布される内線電話帳に水野さんの電話番号はない。

<消えた内線 3385 毎日放送の不思議>

当時の毎日放送労働組合のビラ(提供:毎日放送労組)

こうしたビラを配る。

「すごく優しくしてくれていた先輩も、あっち向いてホイみたいに変わりました。後で考えたら、会社に反旗を翻した私と仲良くしていたら、上司からいい評価をもらえない、だから、あっち向いてホイ、そういう感じでした。私にいじわるしなくても、仲良くはできない、先輩も会社で生きていかないといけませんから。あとで考えれば、気の毒なことでした。そういう中で、この先輩にもビラを読んでもらうべく、毎朝、正門に立って、「お願いします!」と渡すんですよ。滅茶苦茶、しんどかったです。胃潰瘍になり、いつもお腹が空いたら胃が痛いから、ビスケットを持って歩いて食べていました。もっと、重い病気もしました」

脇山弁護士

「会社から嫌がらせやいじめはありましたか」

水野さん

「組織としてはなかったと言えばなかったと思います。でも、サラリーマンは上司をおもんぱかるんですよね。私が「おはようございます」とあいさつしても、よそを向く先輩が出て来たり、ニュースでアクセントを間違えると、「どこの馬の骨ともわからんやつを採るからこんなことになるんや!」と言われたりしました」

社内ではこういう出来事が起こった。

水野さんの職場に差し入れのお菓子が届いた時のこと。

「近くにいる先輩が遠い方を向いて、「お菓子がありますよ」と声をかけたんです。でも私にはくれません。「君も食べえなあ」と言ってくれた人もいたんですが、先輩は「この子はよその子だから」と結局、私は食べることができませんでした。とてもちいちゃな話ですが、こういうのが案外、精神的にはきついんです」

放送中のこと。

「先輩アナウンサーが私を紹介する時、「水野アナウンサー」と言っていました、普通ですよね。それがある日から、「水野さん」に変わったんです。この先輩は上司から、「水野はアナウンサーではない、だから番組では「水野さん」と呼ぶようにしなさい」と言われたんです。でも、口癖がついているから、「水野アナウンサー」と言ってしまい、上司に裏に呼ばれて、「アナウンサーじゃない、水野だろ!」と怒られていました」

会議中のこと。

「ある会議に参加していました。ある日から、「君は出なくていい」と言われました。心ある先輩が「せめて、発言できなくてもオブザーバーとしてどうですか」と言ってくれましたが、会議室を泣いて出ました」

水野さん

「こうやって、小さいことで会社の日常が満たされていくような感じでした。上の意向を受けて、サラリーマンは動くんだ、そう思います」

脇山弁護士

「こういうことをされたら、会社を辞めたいと思いますが、水野さんは、がんばって、正社員になりましたが…」

水野さん

「私は、「おかしい!」と言いました。この言葉の責任を自分自身で取る、自分の言葉に責任を持てなかったら、この先、仕事を続けても、まともな仕事はできない、アナウンサーとして完全に言葉の力を失う、と思っていました。フリーになったとしても、しゃべる仕事として、言葉の力を失うことだけはしたくなかったんです」

労働組合を辞めさせよう、という動きもあったという。

「私のためによかれと思って、労働組合を辞めさせようとした人が多くいました。労働組合に入ったら、「嫁に行けなくなる」とか、「放送業界から抹殺される」とか、言われました」

甘い言葉もあったという。

「「会社を辞めたら、この番組もあの番組もやらしたる」と言われました。当時、毎日放送で一番大きな番組も他の番組も全部です。こういうおいしい飴がたくさんあって、本当に辞めようかと思いました。その時、労働組合でずっと支えてくれた委員長に相談すると、「3か月で切られるかもしれない」と言われました。番組は3か月で終わるケースが多くあります。この話に乗って、会社を辞めて番組に出演していれば、番組終了と同時に二度と毎日放送のテレビやラジオに出ることはなかったかもしれません。それまでは放送業界は実力の世界だと思っていましたが、いろいろな内情があって、ビジネスが成立しているんだと見切ったところがありました。私を起用するという上層部の一言は逆に言えば、出演しているタレントさんやキャスターが降板させられるということです。そういうビジネスの論理の中に自分が埋没してしまったら、たぶん、精神的に自立できないだろうなと思いました」

「正社員になれたのは、労働組合に入って闘ったこと以外にない」

脇山弁護士

「労組組合はどういうところで支えになりましたか」

水野さん

「本当に支えてもらったなあと思います。夜、仕事が終わってからビラをガッー、ガッーと書いていたら、星空ですよ、会社にはみんな、いません。ビラが出来た後、飲みに連れて行ってもらって、さんざん愚痴を聞いてもらいました。何かあったら、労働組合に駆け込める、すごく大きかったです。会社は私の待遇を変えようと考えれば、労働組合を通さないことにはできません。私が矢面に立って会社とやり合う必要もありません。非正規労働者を守ってくれる労働組合でした」

脇山弁護士

「労働組合に入って闘って、よかったと思いますか」

水野さん

「本当によかったと思います。労働組合に入って初めて、働く人の目線でものを見たり、この問題はこう見えるんだと、社会が見えたという意味ですごく大きな経験をしました。何より、アナウンサーが好きだったし、ずっとしゃべりたい、実現できた訳は労働組合に入って闘ったこと以外にありません。毎日放送労働組合だけでなく、他の放送局の人たちもすごく助けてくださいました。全国のいろいろな大会に行かせてもらって、訴え続けました。その間、たくさんあった仕事がパタッとなくなって、暇だったんですが、死ぬほど映画を観て、音楽を聴いて、ビラを書きました。今、やれている仕事の基礎はビラですね(会場、笑)。社員化した時、仲間内のあいさつで、「ビラが全部お札に変わりました、社員になってよかった」と言いました(会場、笑)」

水野さんは毎日放送在職中、2006年にギャラクシー賞ラジオ部門DJパーソナリティ賞を、2008年、日本女性放送者懇談会の放送ウーマン賞をそれぞれ受賞。

マスメディアから「一人メディア」へ 一人の人の声を伝える「ドキュメンタリー朗読」

脇山弁護士

「毎日放送を定年までアナウンサーとして勤めて、今、「ドキュメンタリー朗読」で何を届けたいと思っていますか」

水野さん

「定年間近、報道現場がいろいろな意味で変質して、かつてあった報道の自由度が減ってきていると感じました。報道現場で働く人たちがすごく伝えづらくなってきている中、私は組織を離れても、「一人メディア」になろうと思ったんです。マスコミにできないことを「一人メディア」であれば、できるかもしれないと思いました。マスコミが今、伝えないこと、でも伝えるべきことを伝えたいと思って、私一人で取材対象者にインタビューして、原稿を一人でつくって、朗読する、「ドキュメンタリー朗読」という手法を考えました。一人の声をきちんと伝えたら、その一人の後ろには非正規の問題であれば、何万人の人がいるわけで、その家族のことを考えれば、もっといるわけです。そういう大きな問題を一人の人の声できちんと届けることをやっていきたいと思っています」

正規と非正規の格差・分断は「人間の平等・尊厳」の問題 それを許してはならない

水野さんが登壇者席についたまま、トークイベントは会場からの報告に移る。最初に、東リ伊丹工場偽装請負事件。労働組合を立ち上げ闘った元非正規労働者が報告する。

東リは東証1部上場の床材メーカー。その伊丹工場の請負会社の従業員が請負会社社長を訴えたことからこの事件が始まる。

「社長がパワハラをしたり、賃金カットをしたり、不当なことをやらかしていました。この問題をきっかけに労働組合を結成しました。そして、みんなで相談して、弁護士に相談しようとなって、ネットで調べて、村田浩治弁護士の存在を知りました」

その後、弁護団が結成され、請負会社の従業員は裁判を起こし、勝訴する。その時、村田弁護士がこう指摘する。

「みなさんが所属している請負会社は偽装請負をしているのではないか。東リから指示されたり、請負会社として成り立っていません」

さらに村田弁護士はこう説明する。

「偽装請負であれば、「労働契約申し込みみなし制度」があります」

2015年施行の改正労働者派遣法で、偽装請負の場合、派遣先会社が労働者に直接雇用を申し込んだとみなす「労働契約申込みみなし制度」が導入された。派遣先会社は実際には労働契約の申込みをしていないが、法律上、申込みをしたことになる、という制度。労働者が申込みを承諾すれば直接雇用契約は成立する。

労働組合の役員らを中心に東リに対して、直接雇用の団体交渉を申し入れる。ところが、16人の労働組合員のうち11人が突然、労働組合を脱退して東リが用意した派遣会社に採用される。一方、労働組合に残った5人は派遣会社が採用を拒否し、職場から追い出される事態になる。そして法廷の場へ。

「私たち5人は、東リを相手に裁判を起こしました」

5人は、偽装請負であることの認定、東リの社員の地位にあることの認定を求めた。

一審は敗訴、控訴審で逆転勝訴。

「偽装請負だとする判決が出ました。東リは私たち5人を雇用しないといけませんよ、という判決です」

その後、東リは最高裁に上告。最高裁は上告を棄却し、控訴審判決が確定する。日本で初めて、労働者派遣法40条の6に基づいて東リに対する労働契約関係があることを認めた判決となった。しかし、東リは5人を就労させない対応を取り続ける。

「東リは、私たちが元々働いていた職場がオートメーション化して、君たちの技術ではついていけない、そう言って、自宅待機を命じました」

これに対して、東リと労働組合の交渉が続き、ようやく兵庫労働局が東リを指導し、6年にわたる闘いの末、職場復帰を果たした。

「東リでは今、非正規雇用から正規雇用にする動きが少しはあるようですが、非正規雇用労働者がたくさんいて、そういう人たちを巻き込んで、まっとうな仕事をさせろという動きをやっている最中です」

続いて、よみうりテレビサービス事件について、労働組合から報告。

よみうりテレビサービスは読売テレビの子会社。よみうりテレビサービスに有期雇用を経て無期雇用で働いているAさん。この会社で働き始めて20年近くになる。2020年の年明けすぐ、Aさんが職場である読売テレビに出社。

「出社するなり、会議室に呼ばれて、自宅待機命令書と質問書を突き付けられ、入館証などを取り上げられ、追い出されました」

Aさんは民放労連近畿地区労組に加入して、労働組合は解雇撤回を求め幾度も団体交渉を申し入れたが、会社は応じない。自宅待機を延長し、およそ1か月後、一方的にAさんに解雇通知書を送りつけ解雇する。


「現在、大阪地裁に解雇撤回を訴えて、闘っています。会社は解雇理由を7つほど上げていますが、解雇直前に起きたことは1つぐらいで、それもテレビ番組のリハーサル会場に勝手に入ったことです。他にも会場に入った人はいます。これ以外の解雇理由は具体的事実が証明されておらず、きちんとした解雇理由を示していないから解雇は成立していません」

会社はそもそも、解雇前にAさんの意見を聴く機会を設けなかったという。Aさんは元々の業務が原因でうつ状態だったが、さらに病状が悪化しているという。

「会社側は、こちらの主張に対して回答せず、別のことで本人がおかしいと、どんどん言ってきます。本人はすごく傷つき、どんどんしんどくなっています。彼女を支え守りながら闘っているのが現状です」

裁判は3年以上経過している。労働組合はAさんを支えるため支援する会を結成した。 

この2つの報告を受けて、水野さんはこう話す。

「私の話がそのまま今の非正規労働者にプラスになることは少ないと思います。ただ、私が労働組合に入った時、さんざん周りから言われたのは、「君の社員化は、地球がひっくり返っても無理だ」でした。これはいじめではありません。いろいろな会社事情をわかっている人たちが、私のために言ってくれた言葉です。「君の社員化はない」と言われましたが、でも動くんです!正社員化を求めていた当時、私はいつも、現状は固定されていない、現状は絶えず変化する、人の心も変化する、時代も変化する、変化は毎日毎日起こっている、と思っていました。それが当時者には見えにくいんです。今はより厳しい労働状況かもしれませんが、<現状は絶えず変化する>、これは昔も今も同じだと思います」

会場から手が挙がる。1983年、就職・住宅情報などの大手リクルート社に契約社員として入ったと言う。

リクルート社は1980年、「とらばーゆ」という女性向け求人情報誌を創刊。女性の就職・転職情報に特化した誌面づくりが特徴。「とらばーゆする」と言われるようになるなど社会現象化した。

1985年、労働者派遣法が制定される。この時、リクルート社はどう言っていたか。

「この法律ができたことで、日本で女性の社会進出がものすごく促進される、そのために「とらばーゆ」という情報誌は、社会の役に立つんだ、女性の社会進出をバックアップする社会的意義を持っている、そういうふうに会社は言ったわけです」

この会社の言葉を聞いて、こう感じたという。

「会社に感動しました」

労働者派遣法により派遣可能な仕事は限定されていたが、90年代末に法改定され、一部禁止業務以外は原則自由となった。派遣労働者が増加する。

「1985年当時に、リクルート社に労働組合があれば、「本当にそうですか?」「ちょっと、おかしくないですか?」、会社の論理とは違う見方ができたと思います。そして、今ほど非正規が広がらなかったと思います。水野さんの話を聞いて、労働組合は必要だと改めて思いました」

豊川義明弁護士

そして、閉会のあいさつ。豊川義明弁護士が登場。水野さんに「あなたは怒っていいんだ、闘っていいんだ、いや、闘わなければいけないんだ」と言った、その人だ。

豊川義明弁護士

民法協会長。多数の労働事件を担当。大阪弁護士会副会長などを歴任。04年から関西学院大学大学教授、現在、客員教授。学生に労働法を教えている。

「非正規の問題は平等の問題であって、人間の尊厳の問題だと思います。正規と非正規の格差・分断を人間の平等・尊厳のところから許してならない、不平等がある元では社会はよくならない、これが我々の確信だと思います。これからもがんばりましょう」

●民主法律協会(民法協)

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なお、この日のトークイベントで水野さんは「ドキュメンタリー朗読『ヒセイキの風景』」を上演。水野さんの朗読を聞くしかないが、概要は次の通りです。2015年、元アルバイト職員の女性が正職員との待遇格差は違法だと裁判を起こし、5年後、最高裁はこの訴えを退けた。正職員とほとんど同じ業務をしていたにもかかわらず、この女性にはボーナスがなく、手当も有給休暇もなかった。この女性の闘いは、「月刊風まかせ」で「人権を守るべきはだれだ!?②  日本がダメなら世界へ 最高裁敗訴のアルバイト女性の決意」のタイトルで掲載しています。

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〇ぶんやよしと 1987年毎日放送入社、ラジオ局、コンプライアンス室に勤務。2017年早期定年退職

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