「ル・コルビュジエ建築の世界遺産、国立西洋美術館。東アジア最大級の西洋美術コレクションを誇る美術館の知られざる舞台裏に迫るドキュメンタリー。」(作品HP・introductionより)
「国立西洋美術館」は私にとっては特別な場所です。かつて転勤で東京近郊に暮らしていた頃、それなりに忙しい中、時間を見つけては上野へ行って、あの素晴らしい(奇跡的な!)コレクションを観ました。中世の宗教画の数々から始まるコレクション室に入ると、どんな時でも、いつもある種の幸福感に包まれましたし、企画展でいえば、それまでほとんど知らなかった「ジョルジュ・ドゥ・ラ・トゥール展」や「ウィルヘルム・ハンマースホイ展」は、衝撃に近い感動がありました。関西にいる今でも、東京に行く機会があれば可能な限り足を運ぶ、特別な美術館であり続けています。
世の中には「人生には美術が必要だ」と考える人と、そんなこと考えたこともないらしい人がいます。前者は、もし上野の「西洋美術館」に行ったことがあるならば、概ね「日本に『国立西洋美術館』があって本当によかった」と考える人たちだと思います。後者は、おそらくそういうことには関心がありません。この映画は「人が生きてゆくには美術作品が必要不可欠」で、「国立西洋美術館に行くとなんだか幸せな気持ちになれる」と、そういうふうに思う人々にとっては、確実に興味深く、見ごたえある素晴らしいドキュメンタリー作品です。タイトルの「わたしたちの」という意味もなかなか深いものがあると感じます。「見る私たち」と「見せる私たち」が分かち難く融合した「わたしたち」です。
映画の後半で、「国立西洋美術館」の現在から将来に向けての課題について、様々な発言があります。美術館の抱える事情がたいへん良く分かる貴重な発言ばかりですが、一ファンとして感じとれる最も困難な課題は、おそらく「国立西洋美術館」のコレクション展示室で「幸福感」を感じるようなことはこれまでなかったし、おそらく今後も無いであろう人たちが、当の美術館の将来について重要な決定をする立場に、かなり多くおられるのだろうと推測できること、です。そして「人生には美術が必要だ」などと考えたこともない人たちが、「人生における美術の意味」を軽視することへの危惧です。それは、言い換えれば「人間の内面世界」や「精神的な諸価値」の軽視、あるいは無理解。人としての「想像力」や「共感」、「美」や「理想」よりも、圧倒的に「今そこにある現実」への対処を優位に置く社会制度や思考(あるいは思考停止)への危惧です。映画を観ながら、「見せる私たち」への共感とともに、かつて見たコレクションの名品の数々を思い浮かべつつ、そんなことを考えていました。できるだけ多くの観客にこの映画を鑑賞してもらって、「人生には美術って必要だよね」と感じる人たちが増えてほしいなとも思いました。
●7月15日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー
〇そのざき あきお 毎日新聞大阪開発エグゼクティブ・プロデューサー
なお、冒頭の写真のコピーライツは(c)大墻敦
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