ドキュメンタリー映画「ハマのドン」トークイベント② 横浜市民を迎えて 文箭祥人(編集担当)

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ドキュメンタリー映画「ハマのドン」。2019年8月、“ハマのドン”こと藤木幸夫が横浜港をめぐるカジノ阻止に向けて立ち上がった。御年91歳。地元政財界に顔が効き、歴代総理経験者や自民党幹部との人脈、田岡一雄・山口組三代目組長ともつながりがあり、隠然たる政治力をもつとされる保守の重鎮だ。その藤木が、カジノを推し進める政権中枢に対して、真っ向から反旗を翻し、菅総理と全面対決。決戦の場となったのは横浜市長選。裏の権力者とされる藤木が、市民とカジノ反対の一点で手を結び、時の総理と官房長官が推し進めた「カジノ誘致」の国策阻止を成し遂げた。

目次

ハマのドンの言葉 「主役は横浜市民、俺はあくまで脇役」

古澤敏文さん

5月21日、大阪・十三の第七藝術劇場での上映後、トークイベントに「主役」である横浜市民の古澤敏文さんが登壇。古澤さんは横浜市在住で『狂い咲きサンダーロード』『ロビンソンの庭』『白痴』など多数の映画TV番組制作・プロデュースに携わる。現在はクリエイティブプランナーとして地域振興活動や障害者施設の支援に取り組むかたわら、IR誘致反対運動に参加し、誘致撤退後に有志で立ち上げた市民活動「みんなの山下ふ頭に○○があったらイイナ」プロジェクトに中心的に関わっている。

古澤さんはどうしてカジノ反対運動にかかわるようになったのか。

「昔、日本に開国を求め、横須賀にペリーが現れましたけど、今回は、アメリカの船に日本の首相や議員たちがいっぱい乗っていて、アメリカの船に引かれる形で動力を持たない政党も曳航されて来る。そういう印象でした。そういう人たちが‘日本は主権国家だ’と言うから、ふざけんなと思いました。日本が主権国家だったら、まず、横浜市民に聞けよ!ということじゃないですか。この思いで、カジノ反対運動に係わることになりました」

「また横浜市には街づくりに関して経験豊富な人材がたくさんいるんですよ。おそらく、全国を見渡してもかなりレベルが高い人たちが多く住む地域です。ところが、活動内容や地域における分断とかがあって、それを生かせない状況がありました。行政はノウハウを持つ人達に活躍する場を与えてくれても良いじゃないかと常日頃おもっていました。地域の人的資産を活用せず、外国に託すなどもってのほかです」

古澤さんがカジノ反対運動を振り返る。

「カジノ反対運動は一般市民たちの純朴な集まりから始まったものがありました。市民は市民でやっていて、それが政党の講演にゲストとして呼ばれたりすることで、徐々に大きくなりました。この映画を観て、すべて藤木さんがやったと誤解する人もいるかもしれませんが、実はそうではありません。横浜市長選でこれだけ票を動かし、勝つというのは、やはり市民連携のバックグラウンドが不可欠だったと、後に藤木さん自身が語られています」

2021年8月22日 横浜市長選 山中竹春氏が圧勝

山中竹春 50万6392

小此木八郎 32万5947

林文子 19万6926

2021年9月 菅内閣退陣  山中竹春新市長が「IR撤回」を表明

横浜市の人口は377万4,180人。東京23区を除けば、全国の市町村で最大の人口。18の区がある。

「区ごとにいろいろな展開がありました。西区の市民集会に、藤木さんの右腕と言われる人物がオブザーバー的に参加していました」

集会で市は資料を配布するが…。

「行政側は過去の集客数の数値が低く出てしまうデータ抽出帯域を採用し、低く出た数字を根拠に横浜に観光客を呼び込むためにIRが不可欠だとしていました。それに呼応して行政側が用意した資料には、成功例ばかりのバラ色の世界が書かれていました。その後、抽出方法に関して行政自ら過失を認めるという大事件がありました。立憲民主党や社民党、それに市民もこぞって対応を迫りましたが、訂正した文書作成には及び腰でした。そればかりか長期に渡り捏造した数字を平然と使っていました。これはもう犯罪です」

市議会の様子はどうだったのか。

「当時の市議会は自民党と公明党が議決権を支配していました。私が横浜市議会を傍聴に行った際の討議は、反対派の質問に対し自公が罵詈雑言で応酬し、学校の学級委員会以下の低レベル。傍聴者はIR問題で市政に初めて関心をもった人も多く、この有様をみて多くの市民が驚愕し落胆して、傍聴席からもヤジが噴出していました」

「月刊風まかせ」に古澤さんは「ドンと市民が排除した横浜カジノ 横浜市民の体験記」(2021年11月12日)を寄稿している。

<2021年3月23日、カジノ誘致推進採決日。市議会に赴く。自民党系議員がIRバラ色の話をすると満場の拍手。それに対し立憲民主党の太田正孝氏は改ざんを認めたデータが今でも使用されていることを指摘。すると自民党席からヤジが巻き起こり、非難の応酬合戦となる。市政を揺るがす一大問題にもかかわらず、小学校学級会以下の会議風景には呆れてしまう。かくして、まともな議論も経ず、3億6千万円のカジノ誘致推進予算は承認された>

市長は市民に対して、どういう態度だったのか。

「市長は限定的に説明会を開催しました。市長が一方的にしゃべって、それに対して市民が質問をしようとすると、市側のスタッフが言葉を濁して遮る。質問は実質拒否されているようなものでした。既に市当局が過ちと認めた数字を修正もせず平然と言い放ち、それを市民が指摘しても当局は応えずという状況がどこの会場でも繰り返されていました」

藤木さんの印象は?

「藤木さんはカジノ反対運動のためハーバーリゾート協会を正式に立ち上げました。そうすると、メディアがこぞって来るんですけど、こういうことがありました。藤木会長が記者会見の会場に入るなり、自分の会見席の修正を指示するんです。会長の席が記者席より高かったんです。目線を同じにしろ、上から見るんじゃない、いうことです。それからセッティングが変更されました。会長の人柄を象徴する出来事でした」

横浜カジノ撤回後始まった「みんなの山下ふ頭に〇〇があったらイイナ」プロジェクト

今、横浜はどういう動きになっているのか、古澤さんがこう話す。

「今年3月から『みんなの山下ふ頭に〇〇があったらイイナ』プロジェクトを発足させ活動しています」

古澤さんの冒頭の言葉、「日本が主権国家だったら、まず、横浜市民に聞けよ!」。この言葉がこのプロジェクトにつながっていると古澤さんは言う。

どういうプロジェクトなのか。

「“みんなの山下ふ頭”というのは、山下ふ頭は政府のものでもなければ、行政のものでもないし、港湾の人たちだけのものでもない。横浜市民と横浜に感心をもつ人達のものという意味で“みんなの山下ふ頭”という言葉を使いました」

「また、“〇〇があったらイイナ”という〇〇には、例えば、図書館がほしいとか、美術館がほしいとか、人それぞれあると思うんですよ。ある日、この企画を友人に披露した際に“〇〇”に“夢と希望”という文字をあてがってくれました。これを受け、“市民にとって夢と希望は何か?”を考えるようになり、その抽象的な言葉を市民目線で具現化することがこのプロジェクトの果たすべき役割だろうと認識出来たのです。市民が納得するような形で、市民の財産を自分たちで有意義に活用出来るようにする。そういうことだと思います。それでいて一番大切なのは、みんなが楽しいと思えるような空間でないといけないし、それを横浜の港の風情の中にどう落とし込んでいって、対外的な価値を創出するかというのがすべてだと思います」

「山下ふ頭は47ヘクタールの広さです。その根元で山下公園につながる部分、東京ドーム1個分に相当しますが、このプロジェクトはザックリ云って、そこを市民のためにわけてくださいよ、というものです」

『みんなの山下ふ頭に〇〇があったらイイナ』プロジェクトの準備会が2023年3月23日に行われた。準備会を紹介する動画にこう書かれている。

「山下ふ頭再開発における市民の意見やアイデアを募集し、専門的な知見により取りまとめた提案書を作成、関係機関に提出するとともに一般、マスコミ等に情報提供するプロジェクトの準備会を関内の泰生ポーチにて開催。当日は事務局員9名と個別に声掛けした16名の街づくりの主導者や専門知識を有する方々に集まっていただきました」

1か月後の4月22日、第1回会議が開かれる。紹介の動画にこう書かれている。

「このプロジェクトの目的は山下ふ頭の一角に市民の文化創造・交流拠点を作り出すプランを検討することです。そして、近代横浜の歴史遺産である、はしけを利用した横浜ボートシアターは、プロジェクトの象徴になると考えております。そこで、記念すべき第1回に相応しい会場として、横浜ボートシアターでの開催に至りました」

横浜ボートシアターはどういう劇場なのか。

古澤さん

「遠藤琢郎さんという人がはしけを利用した劇場をつくり、そこで劇団を始めます」

<1981年、遠藤琢郎さんが横浜の運河に浮ぶ木造船内を劇場とし、横浜ボートシアターを結成。以来、“アジア”をテーマに『小栗判官・照手姫』、『マハーバーラタ~若きアビマニュの死~』、『マハーバーラタ~王サルヨの婚礼~』、インドネシア芸術大学との合同創作『耳の王子』などの作品を発表し高い評価を受ける。2001年には鋼鉄製のはしけ(第七金星丸)を劇場として改造し、『マハーバーラタ〜王サルヨの婚礼〜』で横浜トリエンナーレ2001に参加。2006年には、生命史学者中村桂子氏との共同企画で“語る科学”をテーマに『賢治讃え』を発表。現在は、船劇場第七金星丸を拠点として創作活動を行っている。日本文化デザイン賞 受賞ほか(横浜ボートシアターのHPから)>

横浜ボートシアターは長さ30メートル、幅8メートル、150人収容。ステージがあり、踊り場があり、階段状の観劇席がある。

古澤さんが説明する。

「かつては木造の船だったんですけど、補修が追いつかず半ば沈没した痛々しい状態を私は随分と長い間目撃していました。それが2001年、横浜トリエンナーレの開催に際し鋼鉄製のはしけをもちいて本格的な劇場に改造されました。この時に一時的に盛り上がったのですが、関係者の奮闘にも拘わらず公的機関の協力が十分に得られず徐々に停滞していきました。今は劇団員の中心メンバーは3人です。2021年の年末に「何とかならない?」と私に相談がもちかけられ、正直「大変そうだし、どうかなあ」と思いつつも、再建出来た際の面白さが気持ち的に上回り引き受けることにしました」

「今、山下ふ頭の近くに停泊しています。そこは興行ができない商業エリアで、再生を目指すためには別の場所に移船させなければなりません。それには横浜の港湾業務をすべて取り仕切っている横浜港運協会の承認を得なければなりません。そこで同団体から派生し立ちあがった、カジノ反対運動を主導し山下ふ頭の開発案を作成しているハーバーリゾート協会へ協力を要請しました。現在ボートシアターの再興は、ハーバーリゾート協会と協力してすすめています」

今年5月、第2回会議が行われた。

「私たちの会議では、山下ふ頭に水路を通して観光船や水上交通の利便性の改善で経済的効果を高めることや、横浜市18区の人たちが寄り添って交流出来る場作りを検討しています。また、横浜市内の保育施設や子どもたちの預り所は全般的に規模が小さく、十分な園庭をもたない施設もあります。そこで山下ふ頭の一角に、そんな施設が共用できるサテライトの保育所を作り、子供や保育士さんが定期的に通うことで互いに交流を深められる施設案を練っています。それはとかく閉鎖的な考えに陥りやすい障害者施設も同様です。同施設周辺には施設利用者が藝術や文化に触れ、創作可能なアートを併設し意見を交わし、横浜の港の風情に触れてながらこころを癒やせる。そんな環境が備わればいいなあと思います。何も大きな器をつくる必要はありません。機能性を重視したら寧ろコンパクトにできるんじゃないかと考えています」

一方、市側は今、どう動いているのか。

「横浜市は、「市民意見募集(アンケート)の結果概要」、「市民意見交換会(グループワーク)の結果概要」という資料をつくり、公表しています。市民に意見を反映して取り組みましたということですが、その動きが私たちに明確に伝わってこない。こういう状況が続いています」

「そもそも行政機関は一般市民の幅広い意見を集約し政策に反映する機能を有していませんし、ましてや今回の担当は横浜の港を管理するのが主務の横浜市港湾局です。自分達は行政と敵対するのではなく、行政の不得意なところを補って政策に反映して頂きたいと考えています」

古澤さんがこれからを語る。

「私達はIR反対運動の当時のムーブメントとは一旦切り離し、自分たちがやるべきことはあるだろうという考えをもった人達の集うプロジェクトです。発足してまだ二ヶ月ですが、既にメタバース空間を使って開発提案を可視化する取り組みを協議しています。この活動をより市民的な動きとして活発化させるため、賛同者の募集をフェイスブックで行っています」

リスク覚悟で行動するハマのドンに心を動かされる

松原文枝監督

トークイベント後半、松原文枝監督が登壇。

「横浜市には、古澤さんのように熱い人がたくさんいるんです。取材をしていて、自分事として動いている人が本当に多かったです。横浜市長選という決戦の場で勝つことになりましたが、当初は撮影しながら、どうなるかわからないわけですよ。市民一人一人が一生懸命やっているし、その力がどんどんつながっていく、はじめてビラを配る人もたくさんいて、はじめて署名を集めた人もたくさんいて、そういう人たちの力が力をよんだと思います」

ハマのドン 藤木幸夫さん ©テレビ朝日

松原監督は藤木さんをどう見ていたのか。

「藤木さんは権力側にいた人です。自民党員で、横浜の港湾の元締めで、裏の社会に精通していて、近づきがたい人でした。その藤木さんがカジノ反対を旗幟鮮明します」

2016年12月 「カジノ解禁法」が成立

自民党は日本維新の会などと組んでカジノ解禁の議員立法を提出し、2016年年末、国会を延長、強行採決までして通した。

2018年7月 政府提案の「カジノ実施法」が成立

カジノを実際に運営する実施法を国会を延長し、衆参の委員会で強行採決を繰り返した上で成立させた。

2019年8月 藤木さんが緊急記者会見し、「命を張っても反対する」

松原監督

「藤木さんは本来なら、カジノを進める立場にいた人です。その藤木さんが反対すると明言します。それだけでも大変だと思うんです。権力側にいる人が最高権力者に対して刃向かう、当たり前ですけど、国は補助金もあれば、税制もあれば、許認可もあれば、なんでも嫌がらせできます。こうしたリスクを覚悟して、カジノ反対を旗幟鮮明にしました。この藤木さんの行動に心を動かされ、そして藤木さんの行動は大きな動きになるのではないかと思い、取材を始めました。最初は、シナリオがない中で、どうなるかわかりませんでした」

2019年12月 ニューヨーク在住のカジノ設計者、村尾武洋氏が横浜市内で記者会見。カジノの実態を公にする。

松原監督

「村尾さんは藤木さんの行動に心を動かされて、ニューヨークから横浜にやって来て、記者会見をしました。村尾さんはアメリカでカジノのデザインの仕事をしていて、カジノの弊害をよくわかっています。カジノの弊害を話すことは村尾さん自身にとってリスクですが、そのリスクを背負って、横浜で会見に臨みました」

村尾さんが明かすカジノの実態。カジノは明かりが入らないようにデザインされている。夜の雰囲気をつくって、ずっとカジノができる環境にする。入口から入ると袋小路のようになっていて、出口が分かりにくい。カジノから一歩も外に出ないようにデザインされている。

松原監督

「藤木さんがリスクを負う覚悟で行動したことが、いろいろな人の行動につながっていって、それがどんどん伝播していく、古澤さんともつながるし、映画に出て来た市民の人たちにもつながるし、最後は力と力が融合するって、こういうことなんだと思いましたが、50万票を取って圧勝しました」

カジノ撤回後、横浜市民の「市民力」が力になっている

その後の横浜を松原監督はこう話す。

「横浜市長が変わり、住民の意見を無視することが難しくなりました。本当によかったと思います。一方、山下ふ頭の開発に関して、企業からいろいろな事業提案が出ています。その中に、スポーツベッティング事業の提案があります。野球やラグビーなどすべてのスポーツの結果に対して賭けをするという事業です。油断していると、すぐにこういう提案が出てきます。市は表向き市民に対して、市が決めることは、その検討過程をすべてインターネットで公開する、検討した事業に関して市民から意見を聞く、さらに、市が決めたことに対して市民が問題だと指摘すれば、その意見も聞く、と言っています。「市民力」というのが、力になっている、いい事例だと思います」

古澤さん

「国の動き、横浜市の動き、神奈川県の動きの目配せをちゃんとしていないと、いつどういう形で兆候が現れるかわかりません。実は兆候はすでにあるんですよ。私たちは、このままではやばいなあ、やり方を考えようと話し合っています。目配せは絶対、大事ですよ。横浜はまだ過程です。一旦、終息したカジノですが、再燃する可能性があります。おかしなものを造って、市民がその負債を取らされる、それはかんべんしてほしい!」

松原監督

「市の動きに目を光らせる人がいます。映画の中でビラを配っていた女性は今や、市議会を傍聴しに行くし、前回の衆院選の時は、ツイキャスまでやっています。こういう姿を見ていて、なにか気持ちいいんですよ」

大阪カジノはどうなるのか、どうするのか

カジノを含むIR=統合型リゾート施設について、政府は4月14日、大阪府と大阪市の整備計画を認定した。今後、実施協定の締結・認可、カジノ免許の申請・付与などのプロセスがあり、2029年開業を目指すという。

松原監督

「何かリスクが発生すれば、大阪府や大阪市で負担してくれと要求がくる、その可能性は十分あると思います。そこに目を光らせないといけないと思います。大阪カジノは地盤の問題があって、どうなるかわからないと言われていて、踏ん張りどころだと思います。大阪がダメなら次は東京と言われるぐらいで、小池さんが知事だとなかなか難しいから、橋下さんとか、そういう話も出ているので、そうなるとガラッと変わります」

「大阪カジノがこれからどうなるのか、やることは山ほどありますが、この映画に出て来る市民のみなさんの「市民力」には圧倒されました、すごいと思いました。それは大阪の市民の皆さんも同じで、皆さんが持ってる「市民力」は都構想を抑え込んだ、その底力たるやすごいと思います。「市民力」を共有できればと思い、この映画を作りました」

古澤さん

「自分の考えをそれぞれみなさんは持っていると思います。それをどうやってまとめていくかだと思います」

●映画「ハマのドン」公式サイト

http://hama-don.jp/

〇「ハマのドン」(著:松原文枝、集英社新書)

https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-721265-5

●「みんなの山下ふ頭〇〇があったらイイナ」プロジェクト

https://m.facebook.com/iina.yamashitafuto

●ぶんや・よしと  1987年MBS入社。2021年2月早期退職。 ラジオ制作部、ラジオ報道部、コンプライアンス室などに在籍。

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