20代、松田聖子の舞台挨拶に興奮!
自分の人生に「舞台挨拶」があるなんて想像したこともなかった。
23歳くらいの時、東京で家庭教師をしていた小学生の同伴役で松田聖子さん主演の映画の初日に舞台挨拶を観に行った記憶がある。舞台から聖子さんが客席に投げたグッズを競って取り合った。舞台挨拶と聞くと40年前のその光景が浮かぶ。
この数年、時間ができたら、大阪・十三にある映画館・第七芸術劇場に足を運び、運がよければ舞台挨拶を観る。最近で印象に残っている舞台挨拶は、「天皇と軍隊」の渡辺謙一監督や「全裸監督」の村西とおる監督である。両者ともドキュメンタリー映画であるが、最後の質問は「最後の広島のシーンはどうやって撮影したのですか?」であった。渡辺監督の「いえ。あれはドキュメンタリーですよ」との答えに質問者がキョトンとしたのが印象的だった。村西監督は映画も面白かったが、トークも格別で3倍得したような気分になった。
映画「痛くない死に方」の舞台挨拶で、名優と並んだ夢舞台
そんな自分に「舞台挨拶」という仕事が回ってきた。2021年2月13日、シネスイッチ銀座で「けったいな町医者」というドキュメンタリー映画の初日挨拶を毛利安孝監督とした。出演者は僕だけである。
2月20日からは同劇場で「痛くない死に方」という映画の舞台挨拶を高橋伴明監督、柄本佑、宇崎竜童、奥田瑛二氏と5人で並んでした。翌日のスポーツ新聞のカラー写真では端っこの僕は半分切れていたが、まさか名監督や名俳優と並んで公衆の面前で話すなんて夢のような時間だった。天にも昇る気持ちで超緊張して話したが、TVではもちろん僕の挨拶だけ一切流れなかった。まあ、当たり前なのだけど。
その後、全国約80の映画館で2本の映画が「ほぼ二本立て」のような形で上映して頂き、仕事の合間を縫って舞台挨拶に駆け付けた。行く先々でいろんな映画人と出会うことができた。地方のひなびた映画館には「サポーター」のような若者倶楽部もあり、いろんな形で地方の映画ファンと交流させて頂いた。気が付けば、半年間に50回以上の舞台挨拶をしていた。たくさんのオイシイ酒と飯を食べることができた。
トークショーの舞台で歌声披露 「下手やねぇ」に凹む
クリニックでコロナ対応の合間を縫っての舞台挨拶であったが、いい気分転換になった。当然、プロデユーサーや宣伝の方のご指示や助言に助けて頂いたのだが、その中に、カンコさんとの出会いがあった。カンコさんは2本の映画の関西の映画館の広報担当だ。カンコさんの計らいで第七芸術劇場では2時間に及ぶトークショーを2回もやりコロナ禍では禁じられている歌を歌った。
カンコさんから「下手やねえ」としみじみと言われてかなり凹んだが、「まあここはライブハウスではないからね」と自分を慰めた。
8月には神戸の老舗ライブハウス「チキンジョージ」での「映画上映&音楽ライブ」という企画も頂いたが、コロナ禍には勝てず2回の延期を余儀なくされている。いつか雪辱を果たそうとコロナの収束を待っている。カンコさんの居酒屋「風まかせ」にも何度かお邪魔して、プロも顔負けの映画評論家のみなさまの議論に耳を傾けた。
町医者として書いた本をきっかけに、どんどん世界が広がる
思い返せば、町医者として「痛い在宅医」と「痛くない死に方」という二冊の本を書いたことが、「風まかせ」にたどり着く発端であった。、この創刊号に拙文を書くこともそうであった。出版から映画、映画から映画関係者、そしてカンコさんから社会問題と、どんどそしてん世界が広がった2021年であった。カンコさんとは、お会いしてまだ半年も経っていないのに、何年も前からの友達のような感覚なのは、この半年間がいかに濃密だったのか。
医療映画「大病人」が台湾のリビングウィル法制化を導く
さて、医療と映画は非常に近い。医療映画といえば、「赤ひげ」や「デイアドクター」など名作がすぐに頭に浮かぶ。コロナ前は、僕は年間300本くらいの講演を頼まれる超売れっ子であったが、講演のなかで必ず、伊丹十三監督の名作「大病人」(1993年)の超超短縮版をコッソリ見せていたことを告白する。本当は違反なのだろうが、「教育目的」という言い訳を用意しながらである。がんで余命一年と宣告された患者がどう生きるべきかという映画だが、伊丹監督の脚本が実に秀逸である。
「大病人日記」という脚本の本(文藝春秋)も持っている。伊丹監督も三國連太郎も津川雅彦もすでに他界している。個人的に親交があった木内みどり氏(重要な看護師役)も急逝してしまったが、映画のなかに活き活きと生きている彼らの姿を偲んでいる。
この映画は、台湾の台南市にある国立成功大學の趙可式という看護師さんが5年がかりで、台湾の国会議員全員に見せた。その結果、台湾では2000年にリビングウイル(終末期医療における本人意思を書いた文書)が全会一致でその法的担保がなされた。
一方、日本では終末期医療はタブー
翻って日本では、法的担保どころかその国会議論さえ封殺されたままである。僕は公益財団法人日本尊厳死協会の副理事長として何度も議員会館で国会議員に講演をしたが全く動かない。それどころか国は2018年まで「本人の希望を書くことは医師の訴訟リスクが増すので良くない」という認識であった。「そんなバカな」と思うだろうが、僕もそう確信した。そこで「本人が意思表示することは善か悪か」という判断を問う行政裁判(民事でも刑事でもない物事の判断を問う裁判)を国を相手に開始した。当然ながら一審、二審とも勝訴し、国は昨年ようやく控訴を諦めた。世界的にみれば完全にガラパゴス化した国に生きていることをメデイアは全く報じない。東京高裁で勝訴の記者会見をしたが報じたメデイアはゼロだった。
しかし日本の映画が台湾の国会を動かした。この事実は僕以外、ほとんどの日本人が知らない。二度の法律改正を経て現在は安楽死の議論に進んでいる。韓国も2017年に法的担保を終えたが、これも誰も知らない。日本においては、終末期医療そのものがまだタブーだ。自然死(尊厳死)もグレー。しっかり生前に意思表示をしておかないと映画「大病人」のシーンのように管だらけの最期を迎える人が国民の8割という国である。
シネエデユケーション、映画で医療教育を!
映画が世の中を変える可能性がある、と信じている。書籍よりも映像の力のほうが強い。そんな想いで、書籍の原作者と医療監修者として2本の映画の舞台挨拶に関わってきた。お陰さまでシネスイッチ銀座では異例の3ケ月のロングランになった。この11月からは2本立てで、池袋をはじめ、アンコール&バリアフリー上映も始まる。
只今、中ヒットくらいだろうか。さらに多くの市民に観て頂き高評価を得ないと、終末期医療の映画なんて大病院の医者は絶対に観ない。しかし観てもらわないと、日本の終末期医療に風穴を開けられない・・・。
大ヒットになりいつか、医学生全員、看護学生全員が、「痛くない死に方」と「けったいな町医者」を観てからグループワークをしてもらうのが目下の夢である。映画を教育に用いることを「シネエデユケーション」というが僕の場合は、「死ね(シネ)エデユケーション」かな。医学生や看護学生に入棺体験もして「死」について少しでも考えて欲しい。
「コロナ死者ゼロにできた!」
最後に、コロナ禍の1年半の僕のコロナ診療の壮絶日記が「ひとりも、死なせへん」(ブックマン社 )という400ページに及ぶ本が9月14日に3冊目のコロナ本として世に出た。
これだけ「死ぬ 死ぬ」と言っておきながら、「なにが死なせへんやー」という声が聞こえてきそうだ。でも僕がやってきた方法なら「死者はゼロにできたのに」という怒りがある。コロナなんて屁でもないと思ってやってきた。
実はコロナ禍も不都合な真実だらけだ。いずれ「けったいなコロナ医者」のようなドキュメンタリー映画が封切られたら是非、これも観て頂きたい。
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