写真家・石川真生「私の写真は怒りではなくて愛から来てるんだ」 ドキュメンタリー映画『オキナワより愛を込めて』トークイベント

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ドキュメンタリー映画『オキナワより愛を込めて』

1971年11月10日、米軍基地を残したまま、日本復帰を取り決めた沖縄返還協定を巡り、沖縄の世論は過熱していた。ストライキを起こした労働者と、機動隊の衝突は、警察官一人が亡くなる事件に発展した。当時、10代だった石川真生は、この現場を間近で目撃した。「なんで沖縄にはこんなに基地が多くて、なんでこんなに色んな事件事故が多いんだろう」。同じ沖縄の人間同士の衝突がきっかけとなり、浮かんできた疑問が、石川真生を写真家の道に進ませた。

1975年、米兵を撮るために、石川は友人を頼り、コザ・照屋の黒人向けのバーで働き始める。バーで働く女性たちや、黒人たちと共に時間を過ごしながら、日記をつけるように、石川は写真を撮り続けた。

当時の生活が収められた3冊の写真集「熱き日々 in キャンプハンセン!!」(1982)、「熱き日々 in オキナワ」(2013)、「赤花 アカバナー 沖縄の女」(2017)を手に、およそ半世紀が経った今、当時の記憶を回想する石川。石川自身が「最も大事にしてる写真」と語る作品、そこに納められた人々との物語が語られていく。写真家、石川真生による自由な生き方を肯定する「人間賛歌」が誕生した。

砂入博史監督(右)、和田ながらさん

9月7日、大阪・十三の第七藝術劇場での上映後、トークイベントが行われた。ゲストの演出家・和田ながらさんと砂入博史監督が登壇。その模様を報告します。

砂入博史監督

1972年広島生まれ。ニューヨークを拠点に活動する。1990年に渡米し、ニューヨーク州立大学現代美術科卒業後、アーティストとして欧米、日本の美術館、ギャラリーにてパフォーマンス、写真、彫刻、インスタレーションの展示を行う。2001年からニューヨーク大学芸術学科で教鞭も執る。

演出家・和田ながら

京都造形芸術大学芸術学部映像・舞台芸術学科卒業、同大学大学院芸術研究科修士課程修了。2011年2月に自身のユニット「したため」を立ち上げ、京都を拠点に演出家として活動を始める。ユニット名の由来は、手紙を「したためる」。

トークイベントは演出家・和田ながらさんの感想から始まる。

和田

さきほど、私もみなさんと一緒に客席からこの映画を観させていただきました。私自身、演出家として、いわゆるアーティストとして作品をつくる活動をしていて、石川真生さんの姿勢というものに動かされるというか、強い印象を受けたなあと思いました。

続けて、こう話す。

沖縄であるとか、米軍基地であるとか、そういった強い印象を与える場所や単語は、暴力的な単純化にさらされやすいような、モチーフだったり、場所だったり、歴史だったりすると思うんです。そこに対して石川さんは、単純化に抗うというか、常に複雑であるということ、それから一人一人個人にとって単純ではなくて複雑な現実があるということに、まっすぐ向き合ってらっしゃるんだなあと思いました。単純化に加担しないで、いかに複雑なものを複雑なまま捕らえつつ、どういうふうに世界に向かっていくか、これこそがアーティストの仕事だなあと思いました。

砂入監督

すばらしいです。ありがとうございます。

和田

監督が石川さんとどういうふうに出会ったのか、石川さんに出会ってから監督自身にどんな変化があったのか、興味を持っています。

砂入博史監督

砂入監督

日本でもなく沖縄でもなく、2004年にニューヨークで石川さんにはじめて会いました。僕は去年まで30年間、ニューヨークに住んでいました。2004年、ニューヨークのクイーンズにあるPSIという美術館で、沖縄と韓国の米軍基地を記録した写真展がありました。沖縄や韓国の写真家が集まり、石川さんはその一人でした。ニューヨークの学芸員の友達に「すごくおもしろいアーティストが沖縄から来てるよ」と石川さんを紹介されて、出会いました。それから、僕と石川さんは友達になって、Facebookでつながったりして、石川さんのブログを読み始まるようになって、彼女はいろんな政治的発言や沖縄の複雑性を発信していて、コメンテイターのような感じで、彼女を知っていくことになるんです。

2017年に石川さんは、この映画で扱っている写真集『赤花 アカバナー、沖縄の女』をニューヨークで出版する時に再度、ニューヨークに来られました。それまで、石川さんの写真は米軍基地を撮ったものしか観たことがなかったのですが、この時の出版イベントの会場に大きな美しい『赤花 アカバナー』の写真集が置いてあって、パッと開いたら、すごく美しい。この頃、写真のデジタル化が進んでいたニューヨークのアート界隈では、モノクロだとか、フィルムで撮るとか、粒子が荒くコントラストが強いという写真が流行り出していました。そういう時期に石川さんの写真を観て、まず一つ、アフロした沖縄の女の子のファッションがかっこよかった、レトロブームが盛んな時にそういう写真も素晴らしかった。もう一つは、黒人の人たちが極パーソナルで、まるでアメリカで撮った写真のように見えたんです。沖縄であるのに、普通のアメリカの日常写真のようで、びっくりしたんです。僕も写真を教えているんですけれども、日本の写真界には、アラーキーがいて、彼は奥さんが病気で亡くなられるまでの1年間をずっと撮って、それが『センチメンタルジャーニー』という写真集になっているんですけど、私写真と呼ばれていて、日本の写真界の価値観の中で金字塔と言われていて、パーソナルな文脈を物語のように撮るというのがあります。アラーキーさんはすごく写真がうまくてきれいですし、トーンも充実していて、コンポジションもすごくきれい。でも石川さんの写真はもっと生々しい感じなんです。もっと自然に撮っていて、構えて撮っていないというのが石川さんの写真にはあったんです。黒人の方が目を覚まして、朝日が入って来て、上半身裸のところをパッと撮ったりだとか、ただそこにあるものを記録していて、それが素晴らしい。それに匂いが匂ってくるような、風を感じるような、そんな感じで素晴らしい写真だと思って、こんな写真を石川さんが写真家初期に撮っていたのにびっくりしました。

数日後、ニューヨーク大学に彼女が呼ばれて、沖縄が題材のシンポジウムが行われました。東アジア研究の教授が石川さんの写真を見せながら、「これは沖縄の女性の闘いである」というような話をされたんです。ステージ上にいた石川さんは苦しい感じで、うずくなっているんです。僕と友達、石川さんの友達はみんな、石川さんがFacebookで「またがんが発見されました。帰国後、手術を受けます」と書いていたので、もしかして今、痛くなったんじゃないか、みんなザワザワとなったんです。教授が話を終えた瞬間、石川さんがつかつかとステージの中央に来て、怒っているんです。何を怒っているかというと、まず、私の許可なしで私の写真を見せたということ。もう一つが、私の写真を政治化したことです。石川さんは「私の写真は怒りではなくて愛から来てるんだ」と話し始めたんです。大学で怒りをあらわにする人はなかなかいないので、みんなザワザワして、戦慄が走る感じでした。それから、石川さんが『赤花』を撮る動機を話し始めました。

石川さんが幼少期の頃、沖縄では、米軍の性犯罪が多く起こりました。女性だけでなく男性にもです。1945年、46年、47年は、500件、600件、そんな数ぐらいの性犯罪が起こったんです。誰かのいとこにそういうことがあったみたいなことが、日常にあったという状況でした。人殺しも起こりました。その頃、琉球の警察は米軍を取り締まることができなくて、ほぼ野放し状態、アメリカは戦争に勝った国でもあるし、負けた日本の人たちを人間と見なかったかもしれない状況もある。もう一つは、ほぼ日常で、米軍の飛行機が頭の上を飛び交ってうるさい、飛行機が海に落ちた、そういうことがあったわけです。そういう中で、石川さんは、どうして沖縄にアメリカがいるんだ、そのアメリカを置いているのは日本ではないか、そういうふうに思うようになって、そうしているうちに、写真を習って、沖縄を撮ってやる、という感じで黒人バーに働き始める。この映画の中でも言っていますけれど、最初は黒人全員真っ黒に見えたりしたけれども、結果的には、彼ら一人一人を知っていく。そういう話をステージ中央で石川さんがして、その話がすごくかっこよかったんです。

もう一つ、その頃のニューヨークは、僕もブルックリンに住んでいたんですけれど、ブラック・ライブス・マターという黒人のレイシズム(人種差別)に対するプロテスト(抗議)がすごく盛んに行われた時で、毎日のようにプロテストの行進がタイコを叩いたり、花火を飛ばしたり、ワァーワァーやっていた時でした。社会全体的に黒人ではない人が黒人のレイシズムに対して言及する時、非常に言葉を慎重に選ばないと炎上してしまう状況だったんです。そんな中、石川さんは、思いっきり、黒人は全員真っ黒で同じに見えた、という言い方をして、だけど、最後には、いい人もいれば、悪い人もいる、カッコいいヤツもいれば、ウソをつくヤツもいる、最後は人間一人一人として理解し、愛して、そして知っていく、そういう話をしました。素晴らしい話だと思いました。元々、僕はこの映画をつくろうと思ったのは、黒人のレイシズムに対する言及として、つくろうと思っていたんですが、石川さんを通じて、オキナワというものが亡霊のように、ブワァーと現れてくるような感じになりました。

和田ながらさん

和田

観終えた時に、映画のあいだずっと石川さんの声を聞いてたなあという感じがすごくありました。シンプルで強い石川さんの声というものが中心にある映画に自然となっていったという監督のお話は、納得できます。石川さんの語りであったり、映画の中で紹介される石川さんの写真を観ると、黒人の方の話であったり、女性の話であったり、沖縄の話、日本の話ということに自然と自分の中でモチーフ間のネットワークがつくられて、石川さんの話の中に潜在している濃密なものが、石川さんの声を通じて伝わってきて、いろんなことを考えることができる時間だったと思います。

和田

もう一つ、石川さん自身は、被写体と撮影者という関係について、すごく意識をされている方だなあと思いました。被写体と撮影者の間には、ある意味、暴力にもなり得るような関係性があります。でも、撮影した女性たちのことを誰にも文句を言わせない、という石川さんの発言がありましたが、作品にして発表する時に、被写体を守るんだという石川さんの強い意思が感じられました。その真摯さが石川さんご自身の身体の撮影シーンにつながっているんだなと思いました。被写体である石川さんと撮影者である監督、その関係を監督はどういうふうに感じながら撮影や編集のプロセスを踏んで行かれたのか、伺いたいんですけど。

砂入監督

一つ大事だと思ったには、言葉足らずでもいいから、ローカルの人がローカルの言葉で、自分たちの経験から、歴史を説明するというのが一番正しい方法だと思ったんです。言葉足らずであればあるほど、観る側が一生懸命に考えながら、いろいろ神経をめぐらしながら、親身になって、つかんでいくんではないかと思ったんです。ローカルな言葉を大事にしようという感じで石川さんの言葉だけに集中する。石川さんの証言を、どこをどうつなげていけば、一つのチャプターとして一人立ちしていって独立して話が終結するか、というのを何個も何個もやるという感じでした。このドキュメンタリーは僕が撮ったドキュメンタリーというよりかは、石川真央さんの、そのディスコースをどれだけクリアに明解にわかりやすく、石川さんとつくった感じがあります。そういった意味での、被写体と撮影者の関係性があったんだと思います。

和田

そうですね。ローカルの声のままというのはすごく感じられました。石川さんのホームであったり、縁の深い、思い出のある場所を訪れていて、そこから自然に生まれてくるか、自然に刺激されて思い出されてくることがたくさん映画の中にあって、その声は、単純にその意味や内容を語っているとか、事実を説明しているというだけではなくて、石川さんご自身の身体感覚というか、そういう意味ではリラックスもしているような状況での声、だからこそ、心地よく、こちらも自然と聞くことができるし、隙間も豊かにあるというか、心地よかったなあと思いました。プライベートでリラックスで、そのまま自分の感覚が反映しうる声が録音されているというのは重要だなあと感じました。

言葉について、こんな話も2人から。

砂入監督

僕、インドに旅行した時に、ある白人の女性がインド人の男性に付きまとわれて、彼女から「ボーイフレンドの振りをしてくれ」と言われて、2日間一緒にいたんです。彼女から「あなたはガンジス川をどれだけ知っているのか?」と聞かれて、僕が「そんなに知らない」と言うと「お前はインドに来て、こんな大切なガンジス川について知らないのか」と説教されたんです。それから2、3時間、ガンジス川がどれほど大切か、情報をいろいろ教えてきてくれたんですが、僕は「本を読んで得た情報なんて聞きたくないな」と、もうこりごりな気分になりました。ガンジス川に行って、そこで船を出しているおっちゃんに、一言二言でもいいから聞いて、彼らの動きだとか仕草とかというものから、ガンジス川の崇拝性を読み取った方が、本物ではないかと思うんです。

和田

私、先週まで台北にいまして、ずっと英語を使っていました。慣れていないのでへたくそなんですけど、英語でしゃべったりすると、日本語のときとはなにか違うなあ、と。英語はまだ自分にとって日常の言葉に落ち切っていなくて、誰かと情報を交換するための言語だと感じました。

early elephant film + 3E Ider © 2023

砂入監督

映画に出てくる写真は石川さんが写真を撮り始めた頃の写真です。それから石川さんはずっと、いろんなことをされてきたんです。沖縄の伝統的なシアターに4年間住み込みで写真を撮ったり、沖縄の漁師の男性とつきあって、その漁師がバーを持っていて、バーのママになって、毛むくじゃらで超マッチョな男性たちがいる世界を垣間見ながら写真を撮ったりとか。コザや金武のバーが沖縄人や日本人を雇えなくなって、フィリピンの女性たちが働き始めて、石川さんはその女性たちと友達になって、マニラまでついて行って写真を撮ったりだとか。日の丸を使って、人にリアクションしてもらって、今の日の丸をどう思うのかをドキュメントした写真だとか。米軍基地のフェンスを歩き回って写真を撮るとか。今、『大琉球写真絵巻』というシリーズの写真を撮っています。沖縄の過去から現在までの歴史の場面を、現在の沖縄の人や日本の人が登場してその場面を再現する、それを写真に収めるというシリーズです。最近では離島の自衛隊基地の問題もこのシリーズで撮影しています。石川さん自身、いろんな意味で政治というものをよくわかっていて、彼女が『赤花』の頃を思い出すということは、意識が出来上がった上で振り返っていて、わかりやすいというか、どういった人々に自分の思い出をコミュニケートしているのか、よくわかっていると思います。石川さんの言葉は、写真と切り離して言葉だけでも存在してパワフルなもので、写真は写真だけでもパワフルで、その2つを合したら、すごいパワーというか、そういった感じで撮影しました。

石川真生 early elephant film + 3E Ider © 2023

和田

私がすごく好きなシーンをお伝えしたいと思って。最後にタコス屋さんで、石川さんと監督が2人だけで、ごはんを食べながらおしゃべりしているシーンがありました。素敵だなあと思って。常に撮影者はファインダーを通して被写体とコミュニケーションしている状態なのかなあと想像するんですけれど、最後のあのシーンはカメラを置いて、監督と石川さんが直接、すごく近い距離で話されている、その親密さがすごく素敵だなあと思いました。

砂入監督

撮影を始めて、一年二年三年と過ぎていくうちに、僕自身、『赤花』の時代のことが、よくわかってくるようになって、石川さんも言い尽くした部分もあるし、お互いが充分な内容を撮れたなあとわかったんです。僕も石川さんの裸を撮らせてもらったんですけど、それももう経験した後でした。何年間も撮影しているうちに、仲良くなった部分もあるんです。こういう仲になりました、そんな気持ちであのシーンを撮りました。

石川真生 early elephant film + 3E Ider © 2023

砂入監督

8月24日から沖縄でこの映画の劇場公開があって、その時にコザや金武に行ってきました。映画に石川さんとおばさんがしゃべっているシーンがありますが、あそこのバーが廃墟になっていて、たぶん誰も住んでいないと思います。映画にでてくるCLUB SHIMAの薄れた字も全くなくなっていました。最後に行ったのが2019年だったんですけど、そこからいろいろあって、変わってしまった、歴史がこうやって消えていくんだなあと思いました。

和田

ある特定の時間というものが留められる、そういうメディアは映像や写真も含めて、特殊ですよね。今の話を聞いて、もうあそこには、ある意味では、もう行けないんだなあ、もし今だったら石川さんはああいう語りをしなかっただろうなあ、そういうことを含めて、ドキュメンタリーのライブ性みたいなものを感じました。

石川真生 early elephant film + 3E Ider © 2023

砂入監督

もう一つ、最後にお話しします。石川さんの裸のシーン、僕としても今までドキュメンタリーを撮ってきた中でも、強烈な仕事だと思うんです。このシーンは僕が意図したものでも、演出したものでも、考え出したものでもないんです。沖縄で待機している時、石川さんから電話があって、「砂入、きょう何やってるんだ?」。僕は「なんでもいいですよ。時間、空いていますよ」と言ったら、「砂入、この映画を撮るにあたった、何をしようとしているんだ?」と聞かれて、それは僕がずっと頭の中に巡っていることで、「沖縄人であり、女性であり、写真家である人の生き様みたいなものを撮りたいんです」と言ったら、「わかった。今日、シャワー浴びて傷の手当てをするから、撮りに来たいか?」と言うから、「もちろん、是非。そんな大役をやらせてもらうんだったら、是非行きます」と言って、すぐに行きました。

石川さんは腎臓がん、直腸がんの手術を受けている。手術の跡が残っている。人工肛門がある。

石川さんの家に行って、カーテンを閉めて、石川さんが服を脱ぎ始めて、最後のパンツを脱ぐ前の瞬間に石川さんが「砂入さんって、ゲイだったよね」と言ってきて、「そうですよ」と返事しました。その時はカメラやマイクのセットで忙しくて、何も考えなかったんですが、後から考えてみて、石川さんは、強い意思を持って人をあばいてきたから自分もあばくみたいな大きな志を持っている人なんですけれど、やっぱり、若い男性である僕の前で、変形した身体を見せるということで最後の最後にパンツを脱ぐ前に乙女になったんじゃないかと思うんです。自分の裸をさらすのは、それだけガッツがいることなんだと思いました。やっぱり、石川さんも強い部分もあれば、こういうかわいらしい人間的な部分もあるなあ、僕らと一緒だなあと感じました。

和田

あのシーンがあの形で成立するというのは、かなりの信頼関係があったんだろうなあ、説明がなくても想像できました。観ているこちらもキュッとなるというか、覚悟に立ち会っている感覚が映画館の客席でも感じられたなあと思います。

砂入監督

映画に出て来る風景の話ですが、沖縄問題というのは辺野古であるとか、やんばるの高江にあるヘリコプターのヘリパッドであるとか、そういうものもあるんですけど、そういうのも日常の一部として、政治化せずに見せている部分もあります。日常の中に、そういう地雷というか、むずかしい部分、歴史的な部分が隠されているというか、あるというか、そういう感じで淡々と日常を紹介するような感じで風景を、「これは僕が見たオキナワです」みたいな感じで撮っています。

和田

すぐそばにいろんな多面的な現実がある中を暮らしている、それを劇的にくり抜くのではなくて、ある意味シンプルにとらえようという、監督ご自身の姿勢が感じられました。

●映画『オキナワより愛を込めて』、関西では9月23日(月・祝)まで大阪・十三の第七藝術劇場で、京都シネマでは9月20日(土)から上映。公式サイトは以下です。

映画『オキナワより愛を込めて』公...
映画『オキナワより愛を込めて』公式サイト 沖縄の伝説的写真家、石川真生 を追ったドキュメンタリー映画 。自由な生き方を肯定する石川真生の「人間賛歌」。

〇編集担当:文箭祥人  1987年毎日放送入社、ラジオ局、コンプライアンス室に勤務。2021年早期定年退職。

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