原子力災害の記憶をつなぐ施設めぐり

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原子力災害伝承館「天災」であるかのような展示

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 福島第一原発事故を紹介する施設のなかで、福島県立の「東日本大震災・原子力災害伝承館」(双葉町)はもっとも規模が大きい。
 2020年9月のオープン当初、「語り部」が話す内容について、「特定の団体」(国や東電)の批判をしないよう県が要請した、とメディアが報じた。
 ぼくは開館1カ月後の10月にたずねた。入館料600円をはらって入場するとまず、巨大スクリーンで、津波がおしよせ、地下にあった非常用発電機が浸水して冷却できなくなり、炉心が露出し、メルトダウンがおこり、水素爆発する……という経緯をつたえるモノクロの映像をみせられる。モノクロだと現実感がうすれ、抽象的なイメージになるのが気になった。
 住民は故郷をおわれ、農産物は風評被害をこうむった。だがさまざまな努力によって福島の農産物はV字回復し、先端技術の集積地として復興しようとしている……という流れの展示だった。
 事故にいたる経緯は理解しやすいが、国や東電の津波対策の不備も、大熊町の双葉病院の患者約50人が避難中に亡くなったこともふれていない。故郷をうしなった人々の苦しみがつたわらないまま、「復興への挑戦」になだれこむ。加害者である「東京電力」の名はほとんどでてこない。巨大災害であることはわかるが、「天災」であるかのような印象をあたえる展示だった。

温泉旅館の「原子力災害考証館furusato」

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 福島第一原発の南50キロ、「いわき湯本温泉」の老舗旅館「古滝屋」(14階建て)の9階に、震災10年後の2021年3月、「原子力災害考証館 furusato」が開館した。
 古滝屋第16代当主の里見喜生さんは2014年に水俣を視察した。
 水俣市立の資料館だけでなく、患者団体がつくる水俣病歴史考証館などがあることで、水俣病が立体的に理解できた。福島には、加害者の東電がつくった廃炉資料館はあるが、被害者側の施設がない。水俣の考証館のような被害者の立場からの展示が必要ではないか--そうかんがえたのが考証館づくりのきっかけだった。
 父と妻と次女の汐凪ちゃん(当時7歳)を津波でうしなった大熊町の木村紀夫さんが、津波の現場の風景を再現し、汐凪ちゃんの遺品を展示した。避難を余儀なくされた人たちがおこした訴訟を紹介し、ゴーストタウンになってしまった浪江町の市街の写真もならべた。「伝承館」に欠けていた被害者の思いを表現していた。

変身した原子力災害伝承館

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 2023年4月、原子力災害伝承館を見学した人たちに「ひどい展示だったでしょう?」とぼくがたずねると、「え? けっこうよかったですよ」と首をかしげた。それを聞いて再訪した。
 冒頭の映像はカラーになっていて、衝撃がまっすぐにつたわってくる。
 双葉病院の患者50人が避難の途中で亡くなったこと、放射能汚染によって救助活動が制限されたため、本来助かるべき人たちが犠牲になったことも紹介されている。
 放射性物質がどこに流れるか予測する緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の情報が浪江町役場につたえられず、高濃度に汚染された山間の津島地区に住民が避難して被曝したこともとりあげられていた。語り部は、2040年までに廃炉の処理を終えるという計画は「むずかしい」と明言した。
 双葉町の商店街にかかげられていた「原子力 明るい未来のエネルギー」の看板は2016年に撤去されたが、レプリカが伝承館に展示された。
 原子力災害を「人災」としてつたえる展示に改善されたことに、よい意味でおどろいた。

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「いろいろ指摘されたので、少しずつ充実させてきました」とスタッフはかたった。
 被害者によりそう「考証館」などのとりくみが伝承館の改善の後押ししたのだろう。
 ただ、国や東電を相手どって住民がおこした数々の裁判や、甲状腺がんの問題などはまだとりあげられていない。

東電と政府への怒りと無念 請戸小学校

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 「伝承館」をでて、3キロ北にある震災遺構、浪江町立請戸小学校(300円)にむかった。1998年に完成したモダンな校舎は津波で2階の床上10㎝まで浸水した。
 20113月11日の地震直後、学校にいた児童82人は校庭で集合したあと、1.5キロ内陸の大平山まで走ってにげた。上着をはおる時間もなく寒さにふるえながらの避難だった。教頭が最後まで学校にのこり、むかえにくる保護者に「大平山で集合」とつたえ、15時15分に大平山にむかった。その18分後に第一波の津波がおそった。

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 校舎の1階は、放送室の機材がつぶれ、給食室の大鍋は隅っこにかたまり、天井は破れ……そのままの状態で保存され、子どもたちがかけまわっていた当時の写真がそえられている。破れた天井にはアライグマがすみついているという。

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 印象的なのはSPEEDIについての記録だ。
「町と東電の間に結ばれていた『通報連絡協定』による報告や、SPEEDIによる拡散予測結果は町に届かず、住民に無用な被曝と健康不安をもたらした」
原発立地自治体の大熊町や双葉町では、東電が避難のバスを運行したが、浪江町は完全に無視され、独力で避難するしかなかった。「見捨てられた町」の怒りと無念がひしひしとつたわってきた。

 以下はこれまでにたずねた施設の感想です。

東京電力・廃炉資料館

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 富岡町。要予約で「録音禁止」。ガイドが案内する。地震後、原子炉は自動停止したが、敷地の高さ10メートルを超える15メートルの津波が襲って全電源を失い、水素爆発……という様子を映像で紹介する。

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 1センチ角のペレット350個を入れた細い燃料棒、それをまとめた燃料集合体の模型がある。その集合体の中に制御棒を挿入することで中性子を吸収させて核分裂反応をとめる、といったメカニズムは理解しやすい。1号機から4号機までの現状も、模型をつかって解説している。
 汚染水については、トリチウムは弱いから外部被曝の心配はない。内部被曝は飲んで10日で尿や汗で流出する……と「安全」をアピールする。
「安全だと思い込んでいた驕りと過信」を反省し、「天災と片づけてはならない」というナレーションはあるが、津波の可能性を知りながら対策をほどこさなかった「人災」とは表現していない。

富岡町震災伝承施設「とみおかアーカイブ・ミュージアム」

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 2021年7月オープンした豪華な施設。無料。郷土資料館を兼ね、古代からの歴史をたどる。津波でボロボロになった県警のパトカーや町の災害対策本部を再現した模型も。東電の責任にはふれていない。町の歴史をたどるのは大切だが、町民は一度見たら十分だし、外の人間が見るには中途半端。独立した巨大な施設にするより、図書館と併設して資料をあつめるアーカイブにした方がよいのでは?

福島県環境創造センター「コミュタン福島」

 県が三春町の産業団地内につくった学習施設。原発事故の経緯をビデオで上映。第一原発が次々に水素爆発して、避難指示の範囲が2キロ、3キロ、10キロ、20キロと広がる過程をまとめている。避難生活や、変わり果てた家の様子も展示しているが、避難の過程で犠牲になった人には言及していない。「原子力に依存しない福島を」「再生可能エネルギーさきがけの地へ」という流れの展示だ。
 食物の規制基準は年間1ミリシーベルトを上まわらないようにできている。それを上まわる食物を摂取した場合でも、レントゲンや東京ニューヨークを航空機で往復した数値よりはるかに低い…といった解説にも力をいれている。

いわき震災伝承みらい館(いわき市)

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 各地の津波到来時の映像が迫力がある。沿岸部では多くの人が亡くなった。原発よりも「津波」被害に重点をおいている。原発から30キロ以上離れているのに、いわきでも一時23.72μsvを記録したといった事実は紹介されている。

 東日本大震災関連の展示施設は「3.11伝承ロード推進機構」のホームページにくわしい。https://www.311densho.or.jp/(おわり)

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