映画『私のはなし 部落のはなし』 公開2ヵ月後のはなし 角岡伸彦/フリーライター

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  兵庫県神戸市内にある元町映画館で、7月23日から部落問題をテーマにしたドキュメンタリー作品『私のはなし 部落のはなし』(満若勇咲監督=写真左)の公開が始まった(8月5日まで)。初日の上映後に、舞台上で満若監督と対談した。実は公開直前にも対談したことがあり、制作の意図などは以下を参照いただきたい。
https://www.jinken.ne.jp/flat_now/buraku/2022/07/22/1813.html 
 公開後の対談は今回が初めてで、観客やメディアの反応などを中心に聞いた。
【角岡さんの7月30日のnoteより転載】

満若 監督の満若です。本日は暑い中、3時間半の映画を観ていただき、ありがとうございます。短い時間ですが、ゲストの角岡さんとのトークをお楽しみいただければと思います。
角岡 フリーライターの角岡です。今日はファッションの街・神戸に来るので、気合いを入れてきました。(会場笑い)
満若 気合い入ってますね (笑)。
角岡 満若君よりも、目立ったらあかんなあと思いつつ…。
満若 いえ、ゲストなんで (笑)。
角岡 公開2日前の対談では満若君が、「目標は1万人に見てもらうことです。ただ3時間半やからハードルが高いと思います」という話をしてたね。公開されて1カ月半で、1万人を突破しました。(会場拍手)
満若 ありがとうございます。7月の第1週くらいで、ようやく1万人を突破することができました。1万人という数字は、この手のインディペンデント系のドキュメンタリー作品だと、ヒットの部類に値します。この映画は上映時間が3時間半もあるので、劇場には2回分の枠を使って上映していただいています。なので楽観的に考えると2倍で、まあ実質2万人かなあと(笑)。
角岡 2万人!
満若 僕は1万人はいけるんじゃないかと楽観的に考えてたんですけど…。
角岡 それは難しいと思ったけどなあ。
満若 実はプロデューサーの大島新さんや配給の東風さんは、かなりひやひやものだったらしくて、のんきだったのは僕だけだった――ということが、あとでわかりました。
角岡 そうでしたか。制作費700万円の半分を満若君が出資しているので、これは応援せなあかんなあと思って焦ったよ。それだけ出資してお客さんが入らへんかったら悲惨やからね。
満若 ちなみに1万人でもペイできないです (笑)。
角岡 もっと見てもらいたいですね。でも何回も見に来てくれる人もいたりして、コアなファンがついてる。どういう人が来て、どういう反応が多かった?
満若 この映画は5月17日に、東京と大阪と京都の3カ所で公開されて、それぞれ舞台挨拶に行ったんですけど、公開して3週目ぐらいまでは、ドキュメンタリーをよく見る層と言われている、比較的年配の方が多かった。徐々に若い方が増えてきました。実はこの映画は、マスコミでの取り上げられ方が他の映画に比べてすごく少なくて…。
角岡 へえ、そうかなあ。少なくとも関西では、けっこう取り上げられてたよ。
満若 試写会は、いろんなメディアの方が来てくださったんですが、全国紙に載ることはあまりなかった。公開1週目は取り上げられたんですが、2週目から露出が減っていって、ほとんど露出がない状態だったんですけど、徐々に若い観客が増えてきました。
角岡 新作が次から次に上映されるからね。
満若 東京は渋谷のユーロスペースで公開したんですけど、その後は場所が変わって、キネカ大森に移動しました。部落問題を知ろうとかではなく、ドキュメンタリー映画として見てくれてる人が多いなあという印象です。そういった人に届いているというのは、ドキュメンタリーを作る人間としてはありがたいなあと思っています。
角岡 きょうは年配の方も来られてますね。
満若 バラエティがある年齢層で、非常によかったです。特に部落問題をあまり知らない若い人にも見てもらいたいと思って作りました。
角岡 これまで全国で上映をしてきて、映画を見た人からいろんな感想や意見を聞いたと思うんやけど…。
満若 印象に残ってるのは、上映後に質疑応答で「わたし部落出身者なんです」とその場でカミングアウトした方がいらっしゃいました。上映後のサイン会で「実は最近、自分のルーツが被差別部落にあることを知ったけど、誰にも相談できなくて悩んでいた時に、この映画があることを知って見に来ました。登場する若い人にすごく共感して、救われた気持ちになりました」とおっしゃった方もおられました。本当にありがたいなと思いました。
角岡 それは嬉しいね。
満若 差別表現もすごく出てくるので、当事者性を持つ人には、けっこうきついだろうなあという予想はしていました。でも差別の現状をきちんと知らせるためには、そういったきつさを含めて映画として作品に落とし込まないと伝わらないだろうと考えてました。当事者性を持つ方に見ていただいて、それがちゃんと届いたというのは、監督としては非常にありがたかったなあと思います。

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角岡 僕はこの映画を4回見てるんですけど、見るたびに部落差別ってまだあるねんなあと、あらためて思いました。三重の部落の若い人が、恋愛や会話の中で出てくる差別をしゃべってる。僕も部落出身で、そういう取材もしてるんやけど…。
満若 学生時代に『にくのひと』を撮ったときは、差別に対してリアリティを持って感じたり考えたりできていませんでした(運動団体の抗議をきっかけに一般公開はできなかった=角岡註)。
 そういう反省から今回の映画を作ったんですが、当時二十歳だった、何も考えていなかった自分に見せて、現実に部落差別があるんだということをわからせるようなものを作りたかった(満若監督は現在36歳)。
『にくのひと』で加古川の被差別部落を取材させていただいたんですけど、そこでの出会いが大きかった。屠場の理事長の中尾政国さんだったり、紹介してくれた角岡さんだったり、割合スペシャルな人と言いますか…。(会場笑い)
角岡 あの、フツーなんですけど(苦笑)
満若 生活者レベルで部落差別のリアリティや機微に触れていなかったというのが、自分の反省としてあったんですね。その反省を踏まえて、今も根強く差別が残ってるんだということをきちっと示すということが使命でした。
角岡 ただ、差別を描いてても、重苦しくはない。笑いをまぶしているというか…。廣岡さんというおじいさんが出てて、結婚差別を6回くらい受けたけれども、浮気した時だけは、部落出身とわかったらすっと離れてくれて、「あの時ほど部落に生まれてよかったと思ったことはなかった」と笑いながら言ってはった。(会場笑い)
満若 あれ、お酒が入ってるんですよ。(会場笑い)
角岡 それは見てたらわかったけど、ベロベロではなかったよ。画面にユーモアが入ってるね。
満若 映画を作る人間としては、ユーモアがあるからこそ伝わる部分もあるかなあと思うんですよ。逆に悲惨さ一辺倒だと、なかなか伝わらない。登場人物の存在感があった上での痛みだと思うんです。存在感抜きで痛みだけを語ると、ただの説明でしかなくなってしまう恐れがある。時間が経ったから、ああやって笑って話せる。痛みを笑いに転化するのは苦しい作業だっただろうし、ユーモアがあるゆえの深刻さは、取材していて感じました。
角岡 三重の中村さんや松村さんがしゃべってて、内容は深刻なんやけど、重苦しく話してない。自然な感じで話していたね。
満若 そうですね、自然なんだと思います。
角岡 だから見ててすごく伝わってくる。
満若 自然だからこそ伝わるかなあと思います。

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角岡 今回、メディアからたくさん取材を受けて、感じたことはありますか?
満若 あ、すいません、司会をやってもらって。(会場笑い)
角岡 さっきの打合せで、『司会は僕がやります』て言うてたのに(笑)。
満若 そう宣言してたんですけど…。今回いろんなメディアから取材を受けましたが、第一声で「部落問題を取材するのは難しくなかったですか?」という質問が多かった。部落問題の取材は難しいという前提から取材が始まるんですよ。
 今回の映画で取材を断られた人もいるんですけど、部落問題だから難しいと感じたことは一切なくて、一般的なドキュメンタリーの取材で交渉をして皆さんに出ていただいたので、部落問題の取材だから難しいというのは、まったく感じなかったんですね。
 そうお答えしても、取材者はピンときてなかった。けっきょく取材された記事の煽り文句が、「タブーに挑む」だとか、やたら「タブー」という言葉を使う。メディア側も、ある種の差別意識みたなものを内在しているなあというのは、映画を作ったあとにまざまざと感じました。部落問題は難しいって、取材もしないのに決めてかかるというのは、非常によろしくない風潮だなあと。部落問題は、タブーなんですかね?
角岡 タブーかと問われれば、その側面もあるとは思いますけどね。これまでにいろんな筆禍事件があって、運動団体が抗議したり糾弾したりしてきた歴史があるので、メディが委縮した部分もあるとは思う。ただ、そんなにタブーかというと、きっちり取材をして作品を作れば、別に問題は起きない。この映画がそうだよね。
満若 部落問題だからどうのこうのっていうフレーミング(枠組み)自体が、問題なのかなあと感じました。
角岡 満若君が言わんとするところはよくわかるけど、君のキャラクターがあるからこそ作れたというのもあるんではないかなあと思いますけどね。
満若 それは自分のことなんで、なんとも言えないですけど…。
角岡 学生時代から作品を作るセンスもあったし、取材協力者にもちゃんと対応してる。取材協力しても、レポートだの作品だのを送ってこなかったりというのは、よくあるから。その点で満若君は、真面目さと好奇心の両方があるから特異やと思うけどね。そこがスペシャルやと思うね。(会場笑い)
満若 この映画を作る上で、角岡さんに認めてもらうというのが、ひとつの目標でした。角岡さんはかなり辛口の人でして、僕の作品だからといって褒めてくれる人ではない。
角岡 それは、その通りです。
満若 自分がかかわったテレビの番組のDVDを送っても、つまらないと何も返信がない。(会場笑い)
角岡 そんなことはないです。必ず感想は送ってます。
満若 この映画ができてDVDを送ったときは、実は内心すごくドキドキしました。「こんなんあかんやろ」と言われたら、どうしようかな、映画を公開していいのかな、そこまで追いつめられてたんですけど、「よかったよ」というメールをいただいて、ようやく自信をもって公開できると思いました。
角岡 満若君が二十歳のときに出会って、第1作の劇場公開がダメになって、義理の弟(映像カメラマン)のところで10年以上修行して、今回の作品ができたわけですが、彼のもともとある感性と、この間に培われてきた技術や構成力がこの作品には詰まっていた。凄いな、傑作だなと思いました。あんまり傑作、傑作と言うたら、ピノキオみたいになったらあかんけど…。
 でも、本当にいい作品だった。だからこそ今日も満席で、お客さんも満足していただいたのではないかと思います。
満若 もう時間がないので最後にひとこと。角岡さんは僕の”第二のお父さん”みたいな人です(会場笑い)。
角岡 兄貴、兄貴。(会場笑い)
満若 角岡さんの本も素晴らしいので、読んでください。何を買ってもらったらいいですか。
角岡 ちくま新書の『ふしぎな部落問題』かなあ。
満若 本日はありがとうございました。(会場・拍手)

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 時間が限られていたので、少し補足しておきたい。部落問題とタブーについて。
「特殊部落」などの差別語が、閉鎖社会をあらわす言葉として安易に使われ、運動団体は抗議を続けてきた。その抗議が「言葉狩り」につながった側面はあるものの、そもそもメディア側の無神経・無知が根本にあった。これは何も部落問題に限った話ではない。
 つまりタブー的な状況は、ひとり運動団体だけが生み出したものではない。取材をしない、したくないメディアの消極的な姿勢や怠慢の言い訳にもなっている。
 半年ほど前、あるテレビ番組が、部落問題とメディアの特集を組んだ。収録の前日に、番組のディレクターから私に声がかかった。大阪在住の私が、そんな急に言われても、簡単に東京まで行けるわけがない。実際、仕事が入っていた。
 放映された番組では、メディア関係者が、1人だけ出演していた。数日後、そのディレクターがツイッターで、「番組にメディア関係者の出演が少なかったのは、部落問題がタブーだからだ」というようなことをつぶやいていた。
 私に言わせれば、単に準備不足なだけである。大手メディアのスタッフからも、収録間際に声がかかったという話は聞いていた。要は自分の怠慢を「タブー」という便利な言葉で糊塗しているだけである。部落問題は、タブーなんかではない。
 満若監督との対談の最後に、読んでほしい本に拙著『ふしぎな部落問題』を挙げたが、その理由を言うのを失念していた。この本の中で、満若監督の第1作『にくのひと』が、上映断念に至った経緯を1章分を割いて詳しく触れている。
 また、『私のはなし 部落のはなし』では、大阪・箕面市の被差別部落・北芝(きたしば)に関係する若者3人が登場している。拙著では、北芝の歴史と現在についても、1章分を割いているので、興味ある方はぜひお読みいただきたい。北芝の人たちがどんな考えで運動を進めてきたのか、その成果が、3人の自由な発想・発言につながっていることをわかってもらえるだろう。

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 公開対談で聞きたいことはまだまだあったが、時間の都合で果たせなかった。対談終了後に聞いて、一番印象に残っている話を最後に記しておきたい。
 エンドロールの「出演」に「大浦信行」の名前があった。あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」で、昭和天皇の写真が燃える映像を含む作品を制作した、あの大浦監督である。
 大浦さんは私の家に泊まりに来たことがあり、名前と顔は知っていた。というか、映像関係者で知らない人はいないだろう。『私のはなし 部落のはなし』を繰り返し見直すうち、京都市内の河原で斬首される人物を演じていたことがわかった。
「あれ、例の問題と関係あるの?」
 私は満若監督に問うた。
「大浦さんは以前からお世話になっているんですが、”あんなことをする奴は首を斬っちゃえ”という冗談のつもりで、あえて出演してもらいました」
 そう言って笑うのだった。なるほど、毒の効いた洒落だったのか。私は心の底から愉快になった。
 ちなみに20年ほど前に大浦さんがわが家に泊まりに来た際に、妻が帰り際に拙著を渡した。ところがそれが、出版前のサンプル、いわゆる束見本(つかみほん)で、本物ではあるのだが、どのページにも文章が1文字も印刷されていない代物だった。気付いた時は、後の祭りである。
 白いページを眺めて、大浦さんは何を思ったのだろうか。「表現の不自由」以前のはなし、である。<2022・7・30> 

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https://buraku-hanashi.jp/

かどおか のぶひこ
1963年、兵庫県加古川市生まれ。
関西学院大学社会学部を卒業後、神戸新聞記者等を経て、フリーライター。

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