【福島の有機の里で①】土を信じて放射能とたたかった10年  藤井満

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産直の危機 「消費者」は離れていった

10年前、地面を覆っていたほうれん草が畑の土を守った

取り引きのあった生協などの組織は「測定器で測って、(放射能が)出なければ扱います」と言ってくれた。福島を応援しようという雰囲気もあって、春野菜と夏野菜はよく売れた。
10月12日に知事が福島県産米の「安全宣言」をした。だがその1カ月後に、農家が自主的に測った米から基準を超える1キロあたり630ベクレルが検出された。行政の検査はザルではないのかという不信が高まり、福島の農産物は大打撃を受けた。
大内さんが野菜や米を直接届けていた消費者は、安心・安全な農作物を求める人が多かった。原発事故後、その6割が離れた。離れた人の多くが熱心に活動していた人だった。
「農業を守ろうとつながってきたつもりが、単なる『消費者』になっちゃった。これだけ顔の見える関係を大事にしてきたのに、と思うと本当につらかった」
でも督さん自身も「福島の農産物を売っていいのか? ここで本当に農業をやってよいのか?」と悩んでいた。自分が消費者の立場だったら離れてしまったかもしれないとも思った。
残ってくれた4割のお客さんには野菜を届ける際には「ND(未検出)といっても放射がゼロというわけじゃないんですよ」と説明した。すると、
「大内さんも食べてるんでしょ?」と聞かれる。
「はい」と答えると
「じゃあ大丈夫じゃん」と買ってくれた。そんな経験を1年間積み重ねてようやく落ち着いて農業をつづける気になれたという。
「化学肥料や農薬をばんばんつかって増産するのが当たり前だった時代におやじは有機農業をはじめた。有機や無農薬に対するバッシングはすごかったはずです。『こんなんで負けてられっか!』という気持ちだったと思う。おやじたちはたくましい。僕らみたいに甘っちょろくないですよ」

消えた「山歩き」

二本松市の中心から東へ10キロ。ふとんのようなゆるやかな山がつらなる阿武隈山地を分け入ると旧東和町(2005年の合併で二本松市)だ。谷間の道をさらにのぼった標高300メートルの布沢という集落を3月末に訪ねると、安達太良山を望む斜面に梅と桃の花が咲き乱れていた。
春の里山は、ワラビやゼンマイ、コゴミ、コシアブラ……がいっせいに芽吹く。新芽の苦みは「命をいただく」ものだった。
「震災前はねぇ、4月5月は多くの人が山歩きをしてワラビなどの山菜を採ってきて直売所にもっていった。それがばあちゃんの生きがいだったんだ」
有機農業を営む菅野正寿さん(1958年生まれ)は話す。
合併前の旧東和町は有機農法で有名だった。
原発事故で放射能が降りそそぎ、「安全安心」を掲げてきた農業は存亡の危機に立たされた。須賀川市では有機農業の野菜農家が「福島の野菜はもうだめだ」と言い残して自死していた。
東和地区では、農業をつづけられないのではないか、という瀬戸際の生産者の会議で「命を絶った農家の悔しさと無念に耕すことでこたえよう」「耕して種をまこう。出荷制限されたら、損害賠償を請求しよう」と営農継続で意思統一し、例年どおり苗床をつくって田植えをして、米や野菜にふくまれる放射能を自主的に測定して安全性を確認する体制をつくりあげた。その結果、道の駅「ふくしま東和」の売り上げは震災から3年後にはV字回復を果たした。
二本松市役所に持ちこまれる食品の放射性物質測定では、野菜からはほぼ検出されなくなった。だが除染されていない山で採れる山菜やキノコからは2020年になってもセシウムが出ている。山菜のコシアブラは1キログラムあたり1400ベクレル、熊肉では1万ベクレルを超える例もあった。二本松市で2021年3月に開かれた「東日本大震災・原発事故から10年 原発ゼロの社会をめざすシンポジウム」では、幼稚園児のお母さんのこんな声が紹介された。
「おじーちゃんがタケノコを取ってきて、おばあちゃんがおいしく料理しちゃうんです。夫と私は、子どもが食べてしまわないように、バカみたいなものすごいスピードで食べるんです」
祖父母も父母も子どものことを大切に思っているのに傷つけ合ってしまう。
原発事故は春の「山歩き」の楽しみを奪い去ってしまった。道の駅の売り場にはおいしそうな野菜がならぶが、山菜はほとんど見かけない。
「このままではワラビやタケノコのあく抜きの方法なども伝わらなくなってしまう。暮らしがもどっだだけでは『復興』とは言えません」
そう菅野さんは話す。

苗床づくり。種もみを苗床にいれ、土をかぶせる=2023年4月9日

ワラビも食える

菅野さんが営む農家民宿「遊雲の里」の食卓には手作りの野菜がずらりとならぶ。布沢の米でつくった純米酒はやわらかな飲み口だ。平飼いの鶏が産んだ1個50円の生卵は黄身がしっかりしていて軽く箸で突く程度では崩れない。地元の大豆でつくった納豆は豆の香りがよくわかる。
なによりおいしいのが、この時期にしか食べられないフキノトウのてんぷらと酢漬け、ふき味噌だった。畑のわきの土手で採れた。もちろんセシウムが含まれないこともチェック済みだ。
「山菜はダメだ」ではなく、どうすればあつかえるか試しつづけている。5年前からは畑でつくる「栽培わらび」にもとりくみはじめた。
さらに、飯舘村で放射能汚染を測定しつづけている伊藤延由さんによって、コシアブラ以外の大半の山菜は、塩に漬けたり、重曹であくを抜くことによってセシウムが消えることがわかってきた。
震災前から飯舘村に住み、放射能汚染を測定しつづけている伊藤延由さんは、山菜をとりつづける村のおばあさんの声に驚いた。
「塩漬けにすれば(放射能は)抜けるんだぞ」
「セシウムは無理だよ」
そう反論したが、みずからワラビを塩漬けや重曹であく抜きをしてみると、みごとにセシウムが消えた。ワラビだけではない。ハチクもウドもコゴミも……コシアブラ以外の大半の山菜はセシウムが抜けた。キノコも同様だが、香りを楽しむマツタケなどは、セシウムだけでなく香りも抜けてしまった。
一般食品に含まれる放射性物質が1キログラムあたり100ベクレルを超えたら出荷できない。この基準値をゆるめる動きが自民党から出ている。それについて「東日本大震災・原発事故から10年」のシンポジウムで問われた獨協医科大の木村真三准教授は次のように指摘した。
「チェルノブイリでは事故から10年20年たてば基準を厳しくしてきた。出荷業者がかわいそうだから基準値をゆるめましょうなんて、いつからあなた方は科学者になったんですか? と(政治家に)問いたい。ワラビなどはあく抜きをした後で測るようにすれば基準を変えなくても出荷できます」
私は以前に住んでいた石川県の珍味、フグの卵巣の糠漬けを思い出した。猛毒がある卵巣を塩水と糠に2年ほど漬けると毒が消えてしまう。先祖代々伝えられてきた伝統的な加工法はフグの毒のみならず放射能まで除去できる可能性があるのだ。
来年か再来年の春には、じいちゃん、ばあちゃんが「山歩き」で採ってきたワラビやゼンマイが東和の農家の食卓にもどってくるかもしれない。

「遊雲の里」のフキノトウのレシピ

フキノトウ酢漬け
・フキノトウは切らずにさっとゆでる。
・酢と砂糖を、フキノトウがひたるぐらいまで加える(砂糖と酢はほぼ同量)。
ふき味噌
・フキノトウ5個程度を刻んで、あくが出やすいから油をひいてすぐに炒める。炒めると緑がきれいになる。
・味噌(大さじ1)、砂糖(大さじ1.5)をまぜたらできあがり。【つづく】

ふじい・みつる
朝日新聞で、静岡・愛媛・京都・大阪・島根・石川・和歌山・富山に勤務。
2020年に退社。
著書に『僕のコーチはがんの妻』(2020年、KADOKAWA)
『北陸の海辺自転車紀行』(2016年、あっぷる出版社)
『能登の里人ものがたり』(2015年、アットワークス)
『石鎚を守った男』(2006年、創風社出版)など。
この記事は、ロシナンテ社の雑誌「月刊むすぶ」にすでに掲載しています。
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